5年前に突然訪れた、パパと小学生の娘との二人暮らし。周りに同じ境遇の人は一人もいない中、“父ひとり、娘ひとり”の生活が始まります。シングルファーザーに立ちはだかった第一の壁“料理”で、苦手な並行作業を克服した前回記事「同じ境遇の人は誰もいない 父ひとり、娘ひとり生活」に引き続き、今回は、学校行事へ積極的に参加するようになったきっかけやママ友との出会いについて、父子の愛をたどります。

「美しい母子の愛情」をテーマにした番組や作品を見るのがつらい時期も

 ひとり親、特に母親がいない状況というのは、社会からほとんど配慮されることはない。特に子ども向けのアニメ番組では、主人公の女の子には大抵綺麗で物分かりのいいママが存在する。ドキュメンタリーにしても、母と子の愛情を描いたものは多いが、父と子にフォーカスを当てたものはなかなか見かけない。

 二人暮らしを始めたばかりのころは、このようなテレビ番組内などで表現される、理想的な家族像を見るのがつらかった。僕自身がつらいわけではなく、子どもがつらいんじゃないかと思うと、それが気がかりで自分もつらくなってしまうのである。一時はちびまる子ちゃんやサザエさんを見るだけでも、つらかった。

 だが子どもの心というのは思いのほか強靱なもので、置かれた環境に適用しようとする。

 そうしたテレビの表現を見て、そういえばお母さん元気かなぁと言ったりする。そうだねぇ、どうかなぁと答えるのだが、つらそうな父の顔を見て、幼いながらも何か思うところがあったのだろう。あるときからピタリと母親の話はしなくなった。我慢しているふうではなく、今の状況を受け入れたように見えた。

 そういう娘を見て、こちらもエンジンがかかった。3年生からは、小学校の保護者が参加するあらゆる行事に出席した。参観日はもちろん、音楽発表会、運動会、学習発表会、大掃除、中庭の草むしり、校外学習の引率など、すべてだ。母親がいないという理由で、寂しい思いをしたり、これがやってもらえなかったということがないよう、体操服のゼッケンを縫ったり、上履きを洗ったり、あらゆることに抜かりがないよう注意を払った。

「母親がいない」という理由で、子どもが寂しい思いをすることがないよう、体操服のゼッケンを縫ったり、上履きを洗ったり、学校生活を全面的にサポートしてきた
「母親がいない」という理由で、子どもが寂しい思いをすることがないよう、体操服のゼッケンを縫ったり、上履きを洗ったり、学校生活を全面的にサポートしてきた