娘の乙女心に気づかず、失敗も経験。猛練習で三つ編みもマスター

 だがそれでも、女の子の心を分かってあげることができないこともあった。うちの娘が、仲のいいお友達の消しゴムを返さないという事件が起きたのだ。お友達の家に二人で謝りに行き、高校生ぐらいのお友達のお姉ちゃんに、親子ともども泥棒呼ばわりでこっぴどく叱られたりした。

 考えてみれば、無理もない。いつも僕が娘に買っている消しゴムは、MONOやカドケシといった、良く消えるが実用一点張りのものばかりだった。小学3年生ぐらいなら、かわいい柄の入ったものや、こすると匂いが出るものが欲しいだろう。そういうことが、分からなかった。子どもを引っぱっていくのに必死過ぎて、子どもを見ていなかったのだ。バカである。

 参観日に行けば、クラスの女の子の髪形が気になった。みんな綺麗に編み込みされていたり、リボンを着けたりしている。うちの子といえば、僕がポニーテールかツインテールしか結べないので、この2つを交互にやるだけだ。家に帰ってビニールひもを使って、一人で三つ編みの練習をした。実際の髪の毛ではあんまりうまくできなかったが、少しバリエーションが増えてうれしそうにした顔は、今でも忘れられない。

 3年生の最後の懇談会のときに、保護者が一人ずつ1年間の成長ぶりを述べる機会があった。そこで初めて、自分が父子家庭であることを公表した。もちろん担任の先生はご存じだったが、他の保護者に言ったことはなかった。子ども達も、なぜ毎回毎回父親しか来ないのか不思議に思っていたと思うが、1人だけ服の組み合わせがヘンテコだったり、髪がぼさぼさだったりしても、それでいじめられるようなこともなく、いいクラスだった。

50過ぎの“ヒゲのおっさん”がPTA役員と子ども会の会長になった日

 こうした情報は、ママ友ネットワークの中では光の速さで共有される。4年生になるころには、クラスのお母さん方が、うちの娘のことをあれこれ気にかけてくれるようになった。PTAや保護者会も、なるべく役員免除になるように手配してくれた。

 母子家庭のご家庭もあるのにそれでは申し訳ないので、5年生のときにはPTAの広報委員長に立候補した。6年生の時には、子ども会の会長を引き受けた。娘はもう中学生になったが、今でも小学校時代の多くのママ友とは、娘の浴衣の着付けを教えてもらったり、出張時にお土産を持ってきてくれたり、バレンタインデーには義理チョコをもらったりする仲である。

 恐らく父子家庭でなければ、そして自分からPTAや子ども会に飛び込んでいかなければ、50過ぎの“ヒゲのおっさん”がこれほどまでにクラスのママ達と仲良くなることはなかったハズだ。父が忙しくても、強く、明るくいてくれた娘には感謝のしようもない。父親似でダメなところも数多くあるが、自分ができてないのでそこは強くは叱れない。多くを望まず、みんなに助けてもらいながら、地に足が着いた子育てができれば十分かなと思っている。