皆さんは、シングルファーザーの日常がどのようなものであるか、想像したことがあるだろうか。筆者と娘との二人暮らしは、5年前に突然訪れた。

 周りに同じような境遇の人は一人もいない。「母ひとり、娘ひとり」というシングルマザーは、今の時代それほど珍しくなくなっても、「父ひとり、娘ひとり」というごくマイノリティーな存在はほとんど知られておらず、手本もゼロ。世間の“当たり前”がわが家にとっての普通ではなかったり、周りがつくるイメージと自分の実際が違ったり、なかなか理解してもらえないこともあった。

 マイノリティーとマジョリティーは紙一重。人は、一瞬にしてレア側の人間になるものだとしみじみ思う。そして、「家族」とは決まった形があるわけではなく、家族の数だけ幸せの形があるということも。

 筆者のこの5年間の生活を連載の中で振り返ることで、多様な家族の在り方と今そこにある幸せについて考えるきっかけになればうれしく思う。

5年前、妻が長女と家を出た。祖父母ではなく、実の親の手で子どもを育てたい

 5年前の2月、妻が上の娘を連れて家を出た。理由は書かない約束なので、ここでは詳しくは述べない。とにかく5年前、僕が47歳のときに、当時小学2年生の下の娘との2人だけの生活が始まったと思っていただきたい。

 上の娘は当時18歳で、そこそこの分別のつく年だ。筆者が一人で東京に出てきた年でもある。どっちに付いていきたいか、本人の希望通りにすることにした。下の娘も母親に付いていきたいと言ったが、それだけは譲れなかった。

 妻は大手企業の契約社員で、かなり忙しかった。下の子を連れていっても、日常の世話は妻ではなく、妻の実家の祖父母が面倒を見ることになるだろう。義理の祖父母は人間的にも信頼できる方々だったが、実の親ではない。たとえどんなに苦労しても、実の親が自分の子どもを育てるべきという信念だけは、どうしても譲れなかった。

 死別なら別だが、離縁で男親が子どもを引き取るという例は、ほとんど聞かない。お手本となる例も知らない。ゼロどころか、マイナスからのスタートだった。

 だが、恐らく一般の父親とは違い、子育てはできるだろうという確信はあった。

 僕は一般のサラリーマンとは違い、モノカキで生計を立てている。原稿執筆時は、ずっと家にいる。原稿の合間に家事はできるし、取材や発表会で出かけることはあっても、それは大抵子どもが学校に行っている時間帯だ。夕方までに戻れば、問題ないはずだ。