会社側の言い分は最後の最後まで「(小酒部さんが)心配だったから」

―― 人格攻撃というのは、具体的にはどのように行われるのでしょうか?

小酒部 「労働審判を金目当てでやっているにすぎない」「権利主張が過ぎる」などといった内容を答弁書に書いてきました。向こうの反論は嘘だらけなんですよ。証拠がないところは「そんな事実はない」と言い張る。私が出した証拠は「そういう意図ではなかった」とすり替え、「上司達の伝えたかった意図が、うまく私に伝わらなかったのは誠に遺憾である」というふうに……。

 会社側の言い分は最後の最後まで「(小酒部さんが)心配だったから」という言葉に尽きました。でも、「おまえが流産するから悪いんだろ」とか、「妊娠を諦めろ」といった説教が、本当に“心配”から出た言葉とはとても思えません。心配なのは、自分の立場や評価だったのでしょう。

―― 労働審判が終わって、どちらが悪かったかがはっきりしたときに、どう感じましたか?

小酒部 やっと終わったと思いました。

 でも、スッキリした気持ちには全くなれない。人事部で収拾をつけてくれれば良かったのに、司法の場に行っても、ひどいことを言われて、こちらの主張を認めない趣旨の答弁書ばかり来る。当事者は逃げる。私は再び傷つくだけ傷つく。これでスッキリ終われるわけがないんですよ。

 そこから、自分の怒りとの戦いが始まるんです。仕事も失い、子どももいない。あのとき上司が自宅に来なければ、無事に出産ができていたんじゃないか? そんなふうに自分を責めて、何で大学を出て、仕事を頑張っていたのに、流産する結果になってしまったんだろう。こんなことになった意味は何だったんだろう。そういうことを考えていると、本当に上司達に対する、すごい怒りが湧いてきてしまって。何であんな無能な人が私の上司だったんだろうと。私のこの怒りなんて気にも留めず、その上司達は会社から守られて、まだぬくぬくと暮らしているのに、と。

―― まだその上司達は会社にいる……。後輩達が不幸ですね。そして、怒りが、マタハラNetという形になった。使命であるかのように。

小酒部 そうです。

 友達が「2回の流産はマタハラNetを立ち上げるためにあったんだね」と言ってくれたときは、少しだけ救われた気持ちになりました。結局は自分が、無事に世に生み出してあげられなかったわけですから、何てことをしてしまったんだろうという思いがあり、無駄なことには、とてもじゃないけどできなかったんです。意味のあることにしてあげたかった。あの子達のためにも。