日本の子どもたちが見ザル言わザル聞かザルだった戦争中、世界中の自分と同じ世代の子どもがどんな日常を送っていたのかを知りたくて、夢中で読みました。戦争で満たされなかった自分の子ども時代を取り戻したかったのです。

村岡花子訳の『ジェーン・アダムスの生涯』で心を決めた

P122~123(翻訳書など)/中川さんの全作品がカラーで収録
P122~123(翻訳書など)/中川さんの全作品がカラーで収録

 1冊1冊出るたびに無我夢中でむさぼり読んだ岩波少年文庫をきっかけに、中学生の私は子どもの存在そのものに惹かれました。世界中のどこでも、子どもは何か問題を抱えていて、その問題と悪戦苦闘しながら大きくなっていく。悩んだり喜んだり怒ったりするのは私だけじゃない。一癖も二癖もあるのが「子ども」で、いろいろな面を持っている。そして日々成長している。子どもは成長願望のかたまりです。子どもに関わる仕事をしたいと考えるようになりました。

 児童福祉の道を選んだのは、村岡花子訳の『ジェーン・アダムスの生涯』(ジャッドソン/岩波少年文庫)の影響です。アダムスは、シカゴの貧民街に住む人たちに福祉支援施設(セツルメント)を造った社会活動家。彼女の偉大さには及ばないけれど、私にも何かできるのではないかと思ったのです。彼女の支えた施設が「子だくさんの家のにぎやかな子ども部屋」のようでもあって、自分もそんな場所で子どもと楽しく過ごしたいと、心が躍りました。このイメージは、保育に関わるようになってからも持ち続けました。それに戦争を経験して、権威主義の大人不信にもなっていましたし。

 高校2年生のとき、父の転勤で福島から東京へ移り転校しました。高校は大学が併設されていましたが、進学先には東京都立高等保母学院を選びました。高校1年のとき、父が読んでいた雑誌『遺伝』の「学校探訪」というコーナーで、取り上げられていたのです。

 女性たちが真摯に学ぶ姿に志の高さを感じ、ここで学びたいと決めていました。