「どのような言葉を発するか」ではなく、「どのような心持ちで、発するか」

 「ほめる」ことと「叱る」ことは、私達が子どもや部下を「上から目線」で評価し、その言葉で相手を「支配/コントロール」しようとしている点で同じことです。そうはいっても、現実社会では結果も求められます。時にはやや強制的に子どもや部下を引っ張り上げたり、背中を押したりしたくなることもあるでしょう。そうだとしても、まずは子どもや部下の気持ちに「共感ファースト!」で向き合い、あなたの目から見た理想には程遠い子どもや部下の「ありのままの今の姿」を認めることからしか、コトは前には進まない、ということです。

 「ほめて伸ばすことが子育て/部下育成の鉄則だ」と、評価で相手のモチベーションをコントロールする作戦を信奉している方は、なかなかこの話を受け入れられないようです。そうした方は、子育てでも、仕事の場面においても、子どもや部下を「行動の結果のみ」で評価することで、むしろ部下や後輩のやる気をそいでしまっていることはないか、振り返ってみてください。

 「自分の子ども/部下は、私がほめるととても喜ぶ。ほめて伸ばすことのどこが悪いのか?」と思っている方がいらっしゃるかもしれません。厳しいようですが、それは子ども/部下があなたからの評価を気にして、あなたが喜ぶことを一生懸命にしているだけで、当の本人が本当に心の底から喜んでいるとは限りません。

 「ほめる」ことと「勇気づけ」には、重なる部分もあります。それは、先ほどご紹介した「ほめの前提条件」にあるような、「ほめ」を使って相手をコントロールしようというような「下心」がなく、本心から相手の成功や達成に驚き、共に喜びを分かち合うようなときに出る「ほめ言葉」です。つまり、ここで問題となるのは、「どのような言葉を発するか」ではなく、「どのような心持ちで、その言葉を発するか」ということです。

 結局のところ、私達自身が、相手に対して、相互尊敬・相互信頼をベースにした「ヨコの関係」で関わろうとしているかどうかが問われるということです。

 他者を勇気づけることの本質的な意味について、次回もさらに考察を進めていきます。先日お亡くなりになった稀代の名演出家、蜷川幸雄さんは、その厳しい「ダメ出し」で有名な方でした。それだけを見たら、アドラー的な価値観とは相いれない指導法だったようにも見えますが、一方で、数多くの若手俳優を名優に育て上げたこともよく知られています。蜷川幸雄さんの、あの指導方法は「勇気くじき」だったのでしょうか? それとも「勇気づけ」だったのでしょうか? 次回のコラムで私の考えをお伝えしたいと思います。

【参考文献】
・アドラー 子育て・親育てシリーズ 第1巻 育自の教科書 ~父母が学べば、子どもは伸びる~(熊野英一 / アルテ) 購入はこちら
・アドラー心理学教科書 ―現代アドラー心理学の理論と技法- (監修 野田俊作 編集 現代アドラー心理学研究会 / ヒューマン・ギルド出版部)
・7日間で身につける!アドラー心理学ワークブック(岩井俊憲 / 宝島社)
・ELM 勇気づけ勉強会 リーダーズ・マニュアル(ヒューマン・ギルド)