「ほめる」の弊害・「勇気づけ」の効果

 私は「親と上司の勇気づけのプロフェッショナル」として、アドラー心理学をベースにした子育てセミナーや管理職向け研修をたくさん実施しています。こうした機会を持つたびに一番驚かれるのが「子ども/部下は、ほめて伸ばすものだと思っていた!」というものです。「ほめる」ことにはどんな注意点があるのでしょうか? そこでまず、「ほめる」という行為のいくつかの前提について見ていきましょう。

(1)「ほめ」は常に上から目線
 読者の皆さんは、立場が上の人(例えば、習い事の師匠、子どもの学校の校長先生や自分の上司)を「ほめる」ことはできますか? 想像しただけで、なんだか変な感じがしませんか? 「ほめ」は、常に相手との間のタテの上下関係を前提に、立場が上の人が下の人を評価する、という行為なのです。

(2)できると信じていないから「ほめ」が出る
 親が子どもを、あるいは上司が部下を「ほめる」ときとは、「まさかできるとは思っていなかった、やってくれるとは期待していなかったこと」が「こちらの予想に反してできたとき」であることはないですか? 「なんだー、やればできるじゃない!」というタイプのほめ方です。つまり、子どもや部下の可能性を信じていない「不信前提の付き合い」が前提にある、ということです。

(3)「ほめ言葉」で相手をコントロールしようとする
 「いい子だから、○○してごらん」「△△できたら、評価が上がるよ」という下心が満載の作戦です。短期的にはとても有効な作戦ですから、どうしても多用してしまうという気持ちも分かります。しかしながら、もし自分がしょっちゅうこれをやられていたら、恐らく気分は良くないでしょう。あなたがやられてイヤなことは、まず間違いなく、あなたの子どもも部下も遅かれ早かれイヤと感じるようになるはずです。

(4)「ほめ」はいつも「結果オンリー」
 最後に、「ほめ」は常に相手の行動の結果だけを見て、その結果が評価者の期待に届いたときだけに使える言葉です。どれだけガンバって努力を積み重ねてきたプロセスがあっても、もし、私達が「結果をほめる」ということしか知らなければ、期待を超える成果が出るまでは、そのガンバってきたプロセスを励まして「勇気づける」ことはできません。

 でも、本当に子どもや部下が内発的に自信とやる気を持ってその課題にチャレンジし、結果として期待を超える成果を上げられるときは、まず間違いなくその努力の過程でしっかりと「勇気づけられて」いるに違いありません。

 このような前提がある状態で「子ども/部下を、ほめて伸ばす!」とばかりに、善かれと思って「ほめ」を多用するとどのような副作用が発生すると思いますか?