正直に言うと、子どもを産む前は、「母」というものに変化するのが怖いと思っていました。
「それまで仕事が大好きだったけど、子どもが産まれたとたん、子育てに夢中になっちゃった」
「毎日お酒を飲み歩いていたけど、今は飲み会も行きたくないし、お酒を口にしたいとも思わない!」
「お風呂にゆっくり浸かれることがないから、たまに半身浴できると最高に幸せ!」
「どんなに疲れていても、子どもの笑顔を見たら頑張れる」
どれも、子育て中のお母さんからよく聞く話。
先輩ママさんたちが聖母のようなキラキラした目でこう語るのを聞いて、逆に「…そんな修行としか思えない生活が幸せになるって、マジか…」と、絶望に近い気持ちになっていました。
自分が大切にしてきたものがそうじゃなくなることが怖かった
子どもが産まれて、自由がなくなることが怖かったんじゃない。そうではなくて、仕事とか趣味とか、自分が好きで大切にしてきたものが、大切じゃなくなってしまうことがとても怖かった。
だって、 10代から仕事中心で生きてきて、毎日のお酒が何よりの楽しみで、自由にフラっと行くひとり旅が趣味だった私が…、仕事が一番じゃなくなって、お酒飲めなくても平気で、旅行どころかお風呂に浸かるくらいで幸せだと感じるんですよ? それまでの私は消えていなくなるのと同義じゃん、と。うまく想像することもできませんでした。
で、子どもが産まれてどうなったか。
以前の私が恐れていた、典型的なお母さんになりました(笑)。
確かに、私は変わってしまったのかもしれません。出産前の私が見たら、ゾッとすることでしょう。でもね、今ようやく分かりました。
好きだったものが好きじゃなくなるわけではなく、子どもという存在がそれらをはるかに上回っているだけなんですね!
たぶん、仕事もお酒も旅行も、好き具合でいえば昔と全然変わっていません。
暑い日に子どもと外で遊んでいても「いまビール飲んだらおいしいだろうなあ」と夢想するし、テレビで外国のきれいな映像を見ると「リュックひとつで知らない街を歩いたり、またしたい!」と落ち着かなくなってくる。仕事だって、子育てとのバランスを考えて泣く泣くお断りするときは、かなり悔しい。
子どもが一番であることは揺るぎないけれど、やっぱり、好きなものは好きなまま。決して、以前の私が消えてしまったわけではないんだな、と感じます。
子どもを産んだら「母」という生き物になると思っていたけれど、そうではなかった。自分自身に「母の要素が追加される」だけなんですね。 いらぬ心配をして、損したなぁ。