音楽と子育て、今やれるのがどっち?なんて選べない

 子どもをつくろうと思った選択に後悔は一切無い。あるわけがない。かわいすぎる。子どもは、日に日にかわいくなっていく。

 「自分の子どもだからかわいいというような理屈が、自分に当てはまる気がまるでしない」「自分の子をまじで全然かわいがれなかったらどうしよう」と出産前は思っていた私が、「なるほど!自分の子だからかわいいというのは、自分が産んだからという傲慢さでかわいく思えるのではなくて、自分にはこの子しかあり得なかった、運命だった、ってぐらい素敵にフィットする心を持った子が現れるからかわいいんだな!」と今は思っている。

 できれば一日中ずーーーーーっと変顔して笑わせていたい。イチャイチャしていたい。保育園でお昼寝しすぎて夜寝なくなる日には、本当は私やパパともっと遊びたいのかなあ…と思う。

 子育ては、親離れするまでの20年くらいしかない。

 でも私の一生だって短い。

 いつ声が出なくなるか、耳が聞こえなくなるか、死んでしまうかもわからない。

 今やれるのがどっち?なんて選べない。

 「生きづらいなら、もういっこ、地球を手作りすればいいじゃない」と、音楽で自分の世界をつくり始め、ケタケタ笑いながら孤独と心中し、若さ故に逃げるように手に入れた断絶された小さな自由を武器に仕事をしてきた。

生きづらい世の中で生きていくために、音楽で自分の世界をつくり小さな自由を武器に仕事をしてきた。子育ては、私を「みんなの地球」に誘ってくれる
生きづらい世の中で生きていくために、音楽で自分の世界をつくり小さな自由を武器に仕事をしてきた。子育ては、私を「みんなの地球」に誘ってくれる

 だから私が滅びたところで、「みんなの地球」には関係なかったのだ。

 子育ては、私をみんなの地球に誘ってくれる。そこは、私が子どもを残して先に死んではいけないという理由のある地球だ。

 私の音楽生活において、成功とは「辞めない」ということだ。
 だから結婚して子どもができて死ねなくなった私は、永遠に成功する。

 子どものおかげで成功し続けられることに感謝し、せっかく生まれて、今のところ楽しく生きてくれている感じはするので、あまり罪悪感ばかりもたずに、子どもに不必要に「働いててごめんね」と思わずに、ただ愛していけたらな、と思う。