子育てのネガティブな部分に触れてはいけない、不健康な世の中

 もともと私は体は弱いほうで、移動も多く、休みもなかった数年間は、月一で風邪をひいていた。出産が終わると、二週間に一度40度近くの高熱にうなされるようになった。悪寒で、毎回本気で「もう終わりだ!」と思った。

 幸いなことに母乳がたくさん出るのだが、その分めちゃくちゃたまるので、搾乳するタイミングなく仕事をした日には、「何十角形だよ!」みたいな奇形のカチンコチンの爆乳おっぱいになる。それを触ると激痛がする。

まもなく11カ月になる息子。日々の大変さが吹き飛んでしまうほど、子どもは日に日に成長し、かわいくなっていく
まもなく11カ月になる息子。日々の大変さが吹き飛んでしまうほど、子どもは日に日に成長し、かわいくなっていく

 そうならないように休憩を使って20分くらいかけて搾乳をする。トイレの個室にこもり、便器に向かってひたすらおっぱいを揉み母乳を絞り出し、捨てる。かわいいかわいい息子があんなにおいしそうに飲むはずだった母乳を捨てなければならない。つらい!

 大丈夫なときは「大変なことも含めて楽しいぜー」ぐらいの気持ちだし、そんなつらさだって比にならないぐらい結婚生活も音楽活動も子育ても大好き。なのに、世の中に溢れている実体のない数々の軋轢は何なのか。子育てのネガティブな部分に触れてはいけない、決してSNSに書いたりしてはいけない、なかったことにしなきゃいけない、この世の中の雰囲気は何なのか。

 Facebookに「結婚しました!」「子どもと遊園地にいきました!」と写真を載せ狂っていた同級生は、「乳腺炎まじやべえ」とか「陣痛死ぬ、まじ痛ぇ」とか「夜泣きうっせえ」「あんなに受験勉強して大学いって就職したのに仕事辞めなきゃいけないことになった」とか、書いてなかったやん!

 女同士の幸せマウンティングの世界なら、傍目にはドロドロして見えたとしても、まだ明瞭だし女感あるし潔くてむしろ好きなのだけれど、私が今最も煩わしいと感じてしまうのは、「○○に比べれば幸せなのだから、"つらい"と言ってはいけない」、「大変な思いをしている人がいるのだから、"幸せだ"と言ってはいけない」というような、不幸に過剰なほど気を遣わなければならない言葉の弾圧だ。