米国駐在中、子育てで最も注力したのは日本語教育だった

―― なるほど。国際ビジネスに精通された井上さんがお子様に対してどのような教育の機会を与えていらっしゃったのか、ということに大変興味があります。いい学校とかいい塾などという狭い意味ではなく、自立を促すために、子ども達それぞれの個性を活かしながらどのように父親として接していらしたのか、詳しく教えてください。

井上 子ども達は米国駐在中、現地の小学校に通っていましたが、土曜日は日本語学校にも通わせました。毎週土曜日に漢字のテストがあったので、金曜日の夜は子ども達に漢字テストのための勉強を徹底的にやらせましたね。毎回2時間から3時間、みっちり付き添いました。最初はいい点が取れなかったものの、続けるうちにあるときから満点を取れるようになりました。

 家庭で意識して日本語を教えていた理由は、子ども達のアイデンティティーの問題を考えたからです。アイデンティティーとは「米国人として育てるのか、日本人として育てるのか」ということです。言語、習慣、思考、価値観、行動様式はすべて一体であり、言語だけを切り離して考えることは難しい。わが家では結論として「日本人として育てる」ことにしたので、日本語をしっかり身に付けさせることに親として腐心しました。

 グローバル化と言われるだけあり、現在は子どものころに海外で暮らした経験を持った若いバイリンガルや帰国子女が増えています。私がいわゆる帰国女子に初めて接したのはもう四半世紀前のことでしょうか。まだパソコンもワープロもない時代で、稟議書をはじめ、業務上の書類は全て手書きでした。

 そんな中、ある帰国子女の社員の書いた日本語の文字が社内で話題になったことがあったんです。訂正するために何カ所も消しゴムで消しては書き直した形跡の残る文書で、社会人が書いたとは到底思えない代物でした。おそらく印字してある漢字を見よう見まねで模写したのでしょう。見たこともないくずし文字でした。

 そのとき思ったのです。いくらパソコンなどのOA機器の助けがあっても、漢字をはじめとした日本語は、子どものころに身につける努力をしなければ、大人になって習得するのは難しいのだな、と。当然彼は「確かに英語はできるけど、日本語はひどいよね」と嘲笑され、「見かけは日本人だけど、日本人じゃない。英語はできるけど、アメリカ人でもない」と言われ続けていました。アイデンティティーを失ってしまったわけです。

 アイデンティティーというのは完璧でなければ認められない、ということを思い知らされたエピソードです。子ども達にはまず、しっかりとした日本語で思考できるようになってほしいと考えました。英語を話すうえでも、日本語を話すうえでも何より大事なのは話す内容だからです。