たぶん母には僕に対して、「早くから歌を習わせていたら、もっと早くに歌手の道に進めたのでは」という思いがあったのだと思います。でも僕からすれば、歌なんてとっくの昔から好きだったし、自分の部屋や学校の帰り道に頼まれなくても歌っていた。習う習わないは全く関係なかっただろうなと思います。

 好きなことは子どもが自分で見つけるもの。親が好きになれることのきっかけを与えてあげることも大事だと思いますが、最終的には子どもが自分で見つけてくるものなんですよね。だからうちは、何事でも子ども達に自分で考えさせて、自分でやらせています。

 親がああしなさい、こうしなさいと、あらかじめレールを引いて間違いのない方向に進ませるというのも、ときには大切なことだと思いますが、正直、子どもが4人いると、親2人の目ではどうしても行き届かない! 決断は子どもにある程度任せてやらせないと、家が回っていかないね……と、あるとき夫婦で気がつきまして。ある程度考える力がつく年齢になったら、子どもの判断で自由にやらせて、ダメだったときにはフォローして対策を一緒に考える。これがうちの子育てです。

優しくて真面目でおとなしかった長男が、反抗期で「怖い」存在に。原因は僕

 僕がオーディション番組に挑戦したとき、家族は全員で応援してくれました。

 歌手デビューが決まったとき、長男は小学6年生。彼はその後、反抗期に突入。中学2~3年のころはひどかったです。もともと優しい性格で、真面目でおとなしい子だったのですが、かなり荒れまして。弟達から「怖い」と言われるくらいに目つきも変わりました。

 彼の反抗期を激しくさせた原因の一つは、確実に僕の歌手デビューだったと思います。人目も気になりだす多感な時期に父親がテレビに出るようになり、周りから父親のことをとやかく言われることも嫌だったのでしょう。

 僕にとっては、最初の子の最初の反抗期とあって、当時はどうすればいいか全然分からなかったですね。分からないまま、彼と話し合おうとするも、反抗期の子どもが話し合いに応じるわけがない。あのころは長男とコミュニケーションを取ることができず悩みました。

 怒濤の日々が過ぎ、反抗期が落ち着きかけたころ、長男は妻にぽろっと言ったそうです。

 「生きているといろんなことがあるけれど、一つ分かったことがある。お父さんみたいに38歳のおじさんだってデビューできるんだから、人生何があるか分からない。だからとりあえず、やりたいことをやってみる」

 僕は子ども達のために自分の声を残したいと思い、歌手を目指しました。オーディション番組に挑戦し、何度も不合格になりながらも、デビューをすることができました。倒れても起き上がる僕の姿を見て「生きていればいつかきっといいことがある」ということが、彼に少しでも伝わっていたのならうれしいなと、よく妻と話したものです。

 反抗期って、ちょっとした風邪とか台風みたいなものなのかもしれません。無理にコミュニケ—ションを取ろうとするよりも、親が自分の生き様を見せることがお互いを分かり合ったり、たとえ分かり合わなくても、子どもが自分の生き方について何かを感じ取ったりするきっかけになるのかもしれないなと思います。