初めて挑戦したレースで3位に入賞!?

――東京都世田谷区という都心出身の奥宮さんが、なぜ大自然を走るトレイルランニングの選手になったのでしょうか?


2015年7月にスイスで開催された「Eiger Ultra Trail 2015」に出場した奥宮さん

 おじいちゃんとおばあちゃんの家が山の中だったので、夏休みになると訪ねにいって、山とか河とか海とかで遊び回ってました。だから、子どもの頃から自然の中で遊ぶことは楽しいというのがインプットされていたのかもしれないですね。なので、小さな頃から自然の中で体を動かすことに慣れ親しむのは重要だと思います。

 ただ、はじめからトレイルランニングに興味があったのはなく、競技を始めたのは25歳の時です。もともと走ることは好きだったので、大学までは陸上部に所属し、ずっと長距離走に打ち込んでいました。幼少期から唯一褒められる特技が走ることだったんです(笑)。ところが、高校生の頃から走ると胸が苦しくなることが多くなって……。東海大学時代に病院で見てもらったんですがなかなか原因がわからず、「異常がないってことはお前の気持ちが弱いんだろう」とどやされる日々が続きました。そして、卒業する頃には「ああ俺って気持ちが弱い人間なんだ」と思うようになってしまった。当時、箱根駅伝に出られなかったこともあって、走ることが大嫌いになってしまったんです。

 大学卒業後はパン屋さんで働きはじめたんですが2カ月で関連会社が倒産してしまい……。そんな時にお世話になった先輩から、「自衛隊でまた走らないか」という話をもらいました。ただ、自衛隊に入ってからも心臓の調子は悪く、「走るのをやめようかなぁ」と再び思っていた頃に、やっと原因がわかって手術を受けることができたんです。

 術後、はじめてのレースが富士登山駅伝(毎年自衛隊がチームで参加している富士山の麓と山頂を往復する駅伝)でした。実際走ってみたら思ったよりもよいタイムが出たんです。どんなに舗装された坂道を早く走れるマラソン選手でも、山道が早いとは限らない。そのレースで僕は陸ではなく山道に適性があることがわかったんです。山道は景色がすごく綺麗だし、足下の状況がその都度変わるので、それに合わせて走るというのがトレイルランニングの面白いところ。心臓の手術を受けて、初めて気持ちよく追い込めるようになったことが楽しかったです。走るのってこんなに気持ちよかったんだと実感しました。

 富士登山駅伝のあと、日本山岳耐久レース(通称ハセツネCUP)に挑戦しました。初出場で下見もしなかった上に天気は最悪。ずっと雨が降っていたので足下もぐちょぐちょだったんですが、そんな所を走るなんてはじめてですから、右も左もわからず・・・・・・。はじめはトップを走っていたんですけど、途中でどんどん追い抜かれていって、下り坂で追いつかなきゃ! と慌てたらそこで転んでしまって脱臼骨折(笑)。リタイアしたかったんですけど、「一番早く病院に行く方法はゴールすることだぞ」と言われ、そのまま進んだら3位でゴールしてしまいました。

 アクシデントもたくさんあったんですが、本当に楽しかったんですよね。大学の時の4年間は、影の選手というか、けなされる一方だったわけで。いろんな人から「お前は弱いんだよ」と言われ続けてた。でも、その時3位になれたことで、ようやくこれまで走ってきたことが正しかったんだと思えたんですよね。これだったら戦えるんじゃないかと。


「Eiger Ultra Trail 2015」ゴールを果たした奥宮さん。結果は6位と大健闘