結果的に、出産の苦しみを全身で感じられたことは貴重な経験になったし、自然分娩にして良かったとは思っています。でも、選んだ理由が「やってやろうじゃねえか!!」って、どうなんでしょうか

 そんな選択の仕方は、自分の悪いクセかもしれません。子どもができる前から、私の思考はいつもそんな感じでした。

 趣味のひとり旅をしていたころのこと。カンボジアに行ったときは「バックパッカーのひとたちは安宿に泊まって、お金のかからない旅をしているんだから私だって!」と、1泊1000円ほどの汚いゲストハウスに泊まってみたり(とはいえドミトリーに泊まるほどの勇気はないんですけどね)。ギリシャでシャワーのお湯が出なかったときは、「旅人たるもの、1度は水シャワーを浴びているはず! 私もやるぜ!」と、冬に、冷え症にもかかわらず我慢して水シャワーを浴びたこともありました。

 別に貧乏旅行じゃないのだから、それなりのホテルに泊まればいいし、シャワーのお湯はフロントに頼めば済んだ話ですよね。でも、それではなんだか自分が許せない。する必要はどこにもないのに、何かに立ち向かわないといけない気がしてしまうのです。

 わが身だけのことだったら、それでもいいのかもしれません。でもね、母になって思い知りました。この思考は、絶対子育てに持ち込んじゃダメ!

子育てに“根性比べ”はいらない

 突然ですが、産後皆さんはごはんの支度はどうしていましたか? 

 私の場合は、退院後1カ月間、母がほぼ毎日おかずを家に届けてくれていました。

 まだ産後の肥立ちの期間だし、「親が近くにいてくれてラッキー♪」と、ラクをしていればよかったはず。なのに自分を追い込みたがる私は、「親が遠方にいる人はこんなことしてもらえないんだ! 私も少しくらい自分でごはんを作らなきゃ!」と、 睡眠不足でフラフラになりながら、夜中に常備菜を作ったりしていました。

 自分で勝手に子育てを大変にしていたんですよね。

 ごはんのことだけではありません。他の家事や細かい用事なども、甘えられる人はたくさんいたのに「小さい子がいてもきちんとやってる人がいるから」と、少しでも多くのことをやろうとしていました。上の子がいる人はもっと頑張ってる、双子を育てている人はもっと頑張ってる、フルタイムで仕事復帰している人はもっと、こんなんじゃ全然足りない…。より大変な人を想像して自らを追い込んでいくスパイラル。子育てにハードモードを持ち込んでもキリがないのに…。その頑張りの先に、わが子は不在だったような気もします

 ネタみたいな話ですが、寝不足で完全に思考回路がおかしくなった私は、こんなふうに自己嫌悪に陥っていました。

 「自然界で子育てする野生動物は、子どもに食料を与えるために命張って闘っているんだ。それに比べて私は…」

 アホですね。