人種差別の経験や海外ママの姿に影響。自分らしい生き方を考えるように
小学校に入るまでサウジアラビアに住んでいた山田さん。世界各国から人が集まる環境で幼少期を過ごしたことで、人生の価値観形成がされたといいます。
「黄色人種ということで、クラスメートから人種差別を受けていました。暑い国なので毎日プールがあり、そのたびに『プールに入ると水が黄色くなるから入るな』と言われて。いじめられてつらかったけれど、そのときに自分の中で負けず嫌いが芽生え、人種や性別で人に左右されない生き方がしたい、と思うようになりました」
一方、母の教えも起業家マインドにつながったそう。
「海外のママ達は働きながら育児をして、ボランティアもして、とマルチにこなされていて。うちの母だけが専業主婦で、肩身の狭い思いをしていたんでしょうね。『これからの時代は、自分の好きなことを見つけて一生働き続けないと世界で生き残っていけない』と母から強く言われました。それから何をするか分からないけれど、自分ならではの生き方を見つけよう、と考えるようになりました」
大手下着メーカーに入社。社内に託児所を作って欲しいとプレゼン
山田さんが社会人として一歩を踏み出したのは、大手下着メーカーの商品企画でした。
「女性共感企業という経営理念に引かれて2002年に入社したのですが、当時は男性社会で。配属された開発部は私以外全員男性。商品企画を提案しても男性上司に却下される日々に、『ブラジャーを着けていない人に何が分かるの』と思っていました」
やりたいこともできないし、働く女性のロールモデルもいない、という状況に悶々とする日々。そんな中、入社1年目にして人事に社内託児所を作ってほしいとプレゼンしたそう。
「私が結婚し出産したときに、このままではこの会社で働き続けられないと思ったんです。そうしたら、新入社員は生意気なこと言うな、おまえはまず会社のことを覚えろ、と言われました。今思うと、私もまっとうなことを言っているんですが、人事の言うこともまっとうでした(笑)」