マタハラNet代表・小酒部さやかさんの連載・第5回。今回、小酒部さんがお話を伺ったのは、クリーニング事業の喜久屋(東京都足立区)代表取締役の中畠信一さんです。

2016年6月13日、喜久屋のサービス「リアクア」(ウェブサイトから集荷を申し込むと業者が衣服を回収し、クリーニング後に自宅まで配達するサービス)が、第1回「日本サービス大賞」の優秀賞を受賞しました。日本サービス大賞とは、日本生産性本部内のサービス産業生産性協議会が主催し、国内の優れたサービスを表彰するものです。このようなサービスを生み出した職場における、子育てしやすい環境について詳しく伺います。

先代から男女の区別のない会社。昭和40年代から続く環境づくり

喜久屋代表取締役の中畠信一さん
喜久屋代表取締役の中畠信一さん

小酒部 中畠さんは1998年に株式会社喜久屋の代表取締役となり、クリーニングした製品の半年間無料保管サービスを始めるなど革新的な制度を始めるだけでなく、事業所内で従業員の子どもを自由に預けられるようにするなど、魅力的なアイデアを実現されています。人材の定着が問題になるクリーニング業界で堅実な成長を続け、タイで事業展開されるなど、多方面で活躍されていますね。まずは、中畠さんの自由で現実的な発想力の背景について教えていただけますか?

中畠信一さん(以下、敬称略) 私は父から会社を引き継いだのですが、そもそも父が自由な考え方の持ち主でした。昔から男女の区別を持たない会社だったのです。

 元来クリーニング業界は職人の世界で、男の仕事でした。力仕事の割合が大きく、重いアイロンを操る技術も必要となります。雑務は非正規の方に任せ、本質的な部分は職人がやるというのが常識でしたが、私の父が「これからは女性の時代だ」と言って、女性にも力が必要だった仕事ができるよう、昭和40年代前半から機械化を進めました。そういう父の姿を子どものころから見てきました。こうした家庭環境の影響はかなり大きいと思います。

 私も含めて、会社は色々改善を進めています。例えばデリバリー用の車は当時マニュアル車がほとんどだったのですが、それをオートマ車にし、またクリーニング品を運ぶ洗濯物の袋はかつてはとても大きかったものを2分の1くらいのサイズにし、取っ手も付けて女性でも楽に持てるようにしました。

―― 昭和40年ごろといえばまだ労働人口が豊富で、男手もたくさんあった時代ですよね。その時代に男女に関係なく誰もが活躍できるような環境を整えたというのは、人手が足りないから仕方なく女性の手を借りたということではなく、やはり女性の良いところに気づき、いろんな人が働けたほうがよいと気づいたということですね。

中畠 もちろんそうです。クリーニング業界の特性もあります。お客様も店員も女性が多く、その方達の声を聴くのは必要なことです。男女問わず、従業員との身近なコミュニケーションはしょっちゅうやっていますよ。本部は社長室もなくオープンで、普段の何気ないときの会話を大切にし、プライベートな内容の話も当たり前のようにしています。

クリーニング工場内を案内してもらっている小酒部さやかさん
クリーニング工場内を案内してもらっている小酒部さやかさん