一人で歌を歌っていた少年時代。お気に入りは「小さな木の実」
僕は物心ついたときから、歌うことが大好きな少年でした。道を歩くときは必ず童謡を口ずさんで。お気に入りはNHK教育の『みんなの歌』で流れていた「小さな木の実」。ちょっとさみしげで、せつない歌が好みでしたね。
小学生の頃は家で一人っきりで歌うのが日課でした。自分の部屋を完全に閉め切ってね(笑)。高学年になると、さだまさしさんや松山千春さんの歌にはまってフォークやポップスを歌うようになりました。
歌うのは、必ず「一人」。もともと内向的で一人でいることが幸せなのに加えて、僕は“みんなと歌う”ということが苦手だったんです。歌が大好きなくせに合唱は楽しめなかった。周りの友達とは声の質が合わなかった、ということもあると思います。声変わり前はボーイソプラノで高い声で、歌うと高い声をからかわれてしまう。だから音楽の授業では仕方なく歌っていたぐらいで、家に帰って好きな歌を一人で思いっきり歌っていました。誰の目も気にすることなく、自分のためだけに。
こんなふうでしたから「歌を職業に」なんて一度も考えことがありませんでした。学生時代にはビリー・ジョエルのコピーバンドを組んでいましたが、人前で歌ったり、誰かに聴かせたりすることが目的ではなかったですし、そもそも、歌で食べていけるとも思えなかった。ただ、好きな歌を歌う時間があれば幸せだったんです。
歌を仕事にするのは無理だけど、会社人間にもなりたくない。そんな僕が最初に目指したのは脚本家でした。一浪して入った大学を卒業した後、地元の大阪で1年ほど塾講師として働きながらお金を貯めて、上京。昼間はアルバイトや契約社員として働き、夜はシナリオ学校に通ったり、創作活動をしていました。週末には好きな歌を歌うという生活でした。
27歳で結婚して、長男が誕生。妻とはよく、「お金がなくても、夢に向かっていけるといいよね」と話していたので、結婚して1年ほどはそれまでと同じようにアルバイト生活をしていました。でも、赤ちゃんのミルク代やおむつ代って意外とかかりますよね。「これは自分の夢を追いかけている場合じゃない。家族を養うためにちゃんと働かなくては」と、脚本家を諦めて就職することにしました。
とはいえ、それまでほぼフリーター。就職活動がうまく行くはずもなく……。当時、キャリアがない人間にも門戸を開いてくれていた唯一の業界がIT業界だったんです。