DUAL読者にも人気の北欧デンマークのインテリア雑貨ブランド「フライング タイガー コペンハーゲン」が、今年4月29日から同ブランド初となるアーティスト・コレクションを発売。注目のコラボ相手として企画からデザイン監修まで携わったのは、アメリカやスウェーデンの名だたる美術館での個展経験をもち、現代美術界の第一線で活躍している日本人アーティストの河井美咲さんです。

 河井さんは現在8カ月の女の子ママ。現在、ニューヨークと日本を行き来しながら、創作活動と子育てを楽しむ河井さんに、グローバルに活躍する原点となった体験や成功への転機、フォトグラファーとの国際結婚、アメリカ・日本での子育てについて聞きました。前半では、独自の世界観や価値観を大切に海外で築いてきたキャリアの軌跡を紹介します。

<プロフィール>

1978年香川県生まれ。大阪府で育ち、京都芸術短期大学を卒業後、トルコ、ネパール、タイなど世界中を旅し、2002年よりニューヨークを拠点に制作活動を行う。シンプルでいてカラフル、インパクトのある独特の作風は“へたうま”と広く評価され、MoMA(ニューヨーク近代美術館)やボストン現代美術館、マルメ美術館(スウェーデン)、チルドレンズ美術館(ニューヨーク)などで個展を開催。2016年4月には北欧ブランド「フライング タイガー コペンハーゲン」初となるコラボ商品を世界28カ国約600店舗で展開する。河井美咲オフィシャルHP:http://www.misakikawai.com/

「面白いもの」を見つけると、大阪の血が騒ぐ!?

―― ひとたび目にするとその色遣いがいつまでも記憶に残るような、シンプルでいて強いインパクトのある絵や立体作品は、見る人を楽しい気持ちにさせ、子どものように純真なワクワク感を呼び起こしてくれます。河井さん自身は、どんなお子さんだったのでしょうか?

河井さん(以下、敬称略):母が舞台美術や人形劇の活動をしていて、私が小さいころは家で人形をよく作っていました。劇で使う手作りの物や人形に囲まれて育ち、物心ついたときからジャンルを問わず、「作る」ことが大好きでしたね。ノリ&ツッコミがごく日常にある大阪の街。小学校の先生の似顔絵や面白いと思ったものを絵に描いて、友達に見せるとみんなにウケました(笑)。

 自分が作ったものを見て、周りの誰かが喜んでくれるということがすごくうれしくて、高校卒業後の進路は迷わず美術系の学校へ。当時の「このままずっと楽しく作り続けていきたい」という思いが今も続いている感じです。実際に日常の中で「おもしろいやん!」と思ったものを掘り下げていったら作品になった、ということも多いですね。

愛娘のポコちゃんは京都生まれ
愛娘のポコちゃんは京都生まれ

―― 大阪弁のイントネーションにぐっと親しみを感じます(笑)。当時から、日本の枠にとらわれず、いつか世界で活躍したいという目標があったのでしょうか。

河井:いえいえ(笑)。具体的な野望は全く持ってなくて…… 短大卒業後の進路を決めるとき、周囲が就職活動をする中で「私はこれからどうしようか」という思いもあったのですが、「自分が好きなものを、楽しく作り続けたい!」という軸は変わらず、アートの道で生きていきたいと思いました。アートでハッピーに生きていく道を模索する中で、卒業後にはトルコやネパール、タイなどの海外へも何度か旅をし、カラフルで力強い、民族的な色遣いに刺激を受けましたね。

 もともと旅は好きなのですが、道を歩いていても人から気軽に声を掛けられやすいみたいで(笑)。偶然知り合った大道芸をしている知人が当時カリフォルニアに住んでいて、20歳のときに数カ月遊びに行くことになりました。カリフォルニアで滞在していたときに道端で出会ったおじさんが私の活動を知って、ある日「アーティストなんだったら、ぜひニューヨークへ行ったほうがいいよ」とアドバイスをくれたんです。ニューヨークといえば、ソーホーやMoMAなど確かに街中がアートだ!とビビッときまして、21歳のときに初めてニューヨークへ行きました。

―― 海外に頻繁に行かれていたということは、語学学校や独学での英会話の勉強をされていたのですか?

河井:それが、当時、英語力はほとんどゼロレベル。実際は、何となく「こう言ってるのかな」と思っていたことが、実はお互いに違うことで盛り上がっていた、なんていうこともあったかもしれません(笑)。現地でのコミュニケーションは、ボディーランゲージや絵が中心でした。細かな部分は分からなくても、日常的な会話で苦労したことはありませんでしたね。