経験が乏しい女の子達は、人生の選択肢を知らない

 店の女の子と接していると、何を聞いても「どちらでもいい」という答えが多く返ってきます。私はこの「どちらでもいい」という答えを否定するつもりはありませんが、投げやりで決断を避けているように思えてしまうのです。

 だから、息子やお店の女の子が「どちらでもいい」と言うと、腹を立てることがありました。しかし、女の子達とよくよく話をして気づいたのです。この子達には、決断するだけの知識と経験が乏しいことを……。店で働く女の子の多くは、「両親が幼いときに離婚をした」「親が定職に就かない」「親子関係がうまくいっていない」など、何かしらの不安を抱きながら生きています。そのため、本来なら与えてもらえる知識や経験を十分に満たされないまま大人になってしまったため、選択肢がないのです。選択肢がないから、選択ができないし、考える力も育たない。

 これは、子どもにも当てはまります。

 息子が小学生のころ、土曜日の昼食に食べたいものを作ってあげようと、食べたい料理を尋ねてみました。すると、息子は「なんでもいい」と答えてきました。こんな簡単なこと、しかも自分のことなのにはっきりと意思表示ができない息子にがっかりし、これから先の将来が不安になりました。

 そんなことが何回か続いたので、ある日、また「なんでもいい」と言う息子に、少し怒った口調で「いつもなんでもいいって言っているけれど、自分が食べたいものがないの?」と問いつめました。

 すると息子は「食べたいものはあるけど、名前が分からないの」と答えたのです。

 私はハッとしました。息子は自分の食べたい料理が思い浮かんでいるのに、それを私に説明する言葉を持っていなかっただけだったのです。そこで、息子をスーパーに連れていき、「この中から食べたいものを選びなさい」と言いました。すると息子は、ある商品パッケージの写真を見て、自分の食べたい料理を選びました。それは「青椒肉絲」でした。

 この経験から私は、「分からない」や「どちらでもいい」「なんでもいい」という言葉に注意を払うようになりました。「分からない」とは何が分からないのか、「どちらでもいい」「なんでもいい」という場合には、選択肢を知ったうえでそう言っているのか。

 「分からない」ならば、子どもが分かるように説明をし、選択肢がないならば、選択肢を探してあげる。これは親にとっては面倒なことかもしれませんが、自分で考え選ぶ力を身に付けるためには、とても大事なことだと思ったのです。