私は日々の生活の中で、息子に学ぶことの喜びを教えてあげたいと思いました。自分自身は人生の途中で学校の勉強はやめてしまったけれど、息子には分かる喜びやできる喜びを知ってほしいと思ったからです。

 だから、息子が小さいときは興味を持ったことにできるだけ答えてあげました。もし答えられないことがあったら「明日までに調べておくから」と言って、次の日には答えられるようにしました。「あとでね」「また今度ね」と言われたまま答えてもらえなかった子どものころの私は、「相手にしてもらえない」「嘘をつかれた」という寂しさをいつも感じていたからです。

 小学6年生の夏、息子が突然「中学受験をしたい」と言い出したときは正直参りました。当時、私は仕事がうまくいかず、多額の借金を抱えていたのです。

 しかし息子が学べるときは今しかない。今このときを逃したら、私は息子の人生を台無しにしてしまうかもしれない。私自身が後悔するに違いない。

 そう思ったら無理をしてでも中学受験をさせてあげたいと思いました。

 その後、息子は希望の学校に通って東大を目指すことになるわけですが、勉強の内容を私が教えられるはずがありません。でも、息子には学ぶことの大切さだけは伝えたかった。だから私は本を読み始めました。思い返せば、最後に読んだ本は森鴎外の『舞姫』。実に25年ぶりの読書でした。そして、息子の学習量が増えるのと比例して、私の読書量も増えていったのです。

学校に文句を言っても始まらない。私は学校に通いつめるようになった

 息子が進学した私立中高一貫校は、自宅から自転車で20分ほどの場所にある進学校でした。入学式のときに学年主任が「全員に東大に合格するだけの学力をつけさせます」と言ったのを聞き、この学校に任せれば息子は東大に行けるかもしれないと本気で思ったのは、多分私だけだったのではないでしょうか。大学受験をしたことがない私にとって、東大は「日本一の大学」ということぐらいしか知らず、そこに入るのがどんなに大変かなど想像することもできませんでした。でも、息子には高い目標を持ってほしいと思っていました。

 ところがある日、授業参観で学校へ行くと教室の汚さにあぜんとしました。別の教室をのぞくと、天井の蛍光灯が点滅しているではありませんか! トイレに行ってみて、さらに失望しました。

 「保護者が来ると分かっているにもかかわらず、こんなにだらしない状態のままにしておくなんて、この学校はどうなっているのだ?」

 息子が学ぶこの学校のことをもっと知りたい。

 その日から私は熱心に学校に通いつめるようになりました。