ある夜11時、ちょうど寝ようとしていた畠山さんに市の担当者から電話がありました。「今から親子5人、お願いできる?」。それは母親と子ども4人の家族で、家をごみ屋敷にしてしまったことから追い出されて行き場を無くしていました。子ども達はそれぞれ乳児院や児童養護施設に預けられた経験もあったということです。

日常生活を共にして分かった、保護された母親の知的障がい

 行政は当初母親の虐待やネグレクトを疑っていましたが、一緒に日常生活を送るうちに畠山さんは気づきます。「軽度の知的障がいがあったのです。お母さん自身、離婚家庭で放置された状態で育ったことが分かりました。カレーなら作れる、と言っていましたが、実際はそれもできなかった。食事はコンビニで買ってきていたこと、洗濯のやり方も知らなかったことが分かりました」

 畠山さんはこの母親と一緒に買い物に行き家事のやり方を教えます。ファミリーサポートなど育児支援の使い方を伝え、地域の資源とつないでいきました。「私はできるだけ、地域の中で親子一緒に暮らしていく方法を考えたいのです。周囲の人は『親がひどい。親と子を離したほうがいい』と考えるかもしれませんが、子どもが児童養護施設に入っている間に親がどこかへ行ってしまうことも多いのです。18歳で施設から出た子どもは、頼るところが無くなってしまう。そこまで考えてほしい」

 優しく忍耐強い畠山さんでも、怒ることがあります。当時虐待などの相談窓口は、定年退職した校長先生達が相談員をしており、お役所仕事の感覚が抜けない人もいました。中には相談者のもとへ行かず逆に相手を呼びつける人もいたそうです。家庭訪問もせず子どもにも会わない……。そんなとき「それでは、死者が出ますよ」と注意しました。間違った対応にはハッキリものが言えたのは「市役所にも議会にもNPOにも、同じ気持ちで働く人達がいたから」と言います。

 あるとき、支援していた子どもの一人がこんな電話をかけてきました。

 「ハタケヤマさん、親を殺したら犯罪ですか?」