2015年6月に発売されてから販売部数累計30万部のベストセラー『学力の経済学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の著者であり教育経済学者の中室牧子先生のインタビューを4回に分けてお送りします。初回のテーマは「教育を受けることで年収が上がるという事実を子どもに教える意味」です。

子育てには経済学の知見が役立つのではないか

中室牧子先生
中室牧子先生

日経DUAL編集部 『学力の経済力』がベストセラーになった背景には、現代の親世代が子どもの教育に対して様々な疑問や不安を抱えているという実態があると思います。この書籍で中室先生が最も訴えたかったことは何なのでしょうか?

中室先生(以下、敬称略) 日経DUALの読者の皆さんは、私と同年代で子育て中の方が多いのではないでしょうか。

 私は『学力の経済学』を執筆する前に、同世代の友人たちから頻繁に言われたことがあります。それは、「子育てに関する本を読むと、同じテーマに対して『Aが正しい』と言う専門家と、全く逆の『Bが正しい』と言う専門家がいる。これが正しそうだという答えに辿り着くまでにかなりの時間がかかることもあるし、最終的に正しい答えに辿り着けないこともある」と。また、そうした子育てに関する本が「著者一人の限られた経験に基づいて書かれている場合、どこまで自分の子どもに当てはまるのだろう、と考えてしまう」とも。

 実はこうしたことは、育児以外のことについても起こり得ます。例えば、ダイエットで激痩せした有名人の体験談を信じて同じことをしてみたけれども、実際には思ったような成果が上がらなかったと言う人は結構いるのではないでしょうか。私たちの生活は、限られた時間やお金を何に使うかという選択や決断の連続ですが、こうした時に、根拠のない通説や個人の体験に基づく特殊な事例に踊らされないようにすることが重要です。

 経済学は、一個人の体験だけではなく、大量に観察された個人の経験から導き出された規則性――これを私たちは「科学的根拠」(エビデンス)と呼んでいます――を重視しています。しかも、最近の社会科学は、このエビデンスと言う言葉を極めて厳格に用いています。それが、「因果関係を示唆する根拠」と言う意味です。

 例えば、こんな例を考えてみましょう。

 子どもの体力と学力の間には関連性があると言われています(図表1)。しかし、この2つの間に「因果関係があるか」と言われると、必ずしもそうとはいえません。「体力があるから学力が高い」、別の言い方をすれば「体力をつけさえすれば(全く勉強しなくても)学力を上げることができる」のであれば、体力と学力の関係は因果関係だといえますが、ちょっとそんな話はにわかには信じられませんよね。このように「体力と学力の関係はなんらかの関係があるけれども、原因と結果の関係にはない」というものを、因果関係と区別して「相関関係」と言います。この意味では、体力と学力の関係は因果関係ではなく、相関関係です。因果関係とは異なり、単なる相関関係の場合、体力をつけても、学力が上がるというわけではありません。

 なぜ、こんな話をしたかというと、親が子どもの学力を上げるために意味のあることをしようと思うならば、何が子どもの学力との間に「因果関係」があるかを知ることが一番の近道だと私は思っているからです。単なる相関関係に過ぎないことを、因果関係があるかのように誤解して、子どもの体力をつけても学力は上がらないのです。だから、一見関係があるように見えることではなく、確かに「因果関係」があることとは何かを知ること。これが重要です。

 個人の体験に基づいた見解は、「相関関係」と「因果関係」の違いを意識しておらず、時々、相関関係に過ぎないものを因果関係であるかのようにミスリードしているものを見かけます。このように、科学的に裏づけのない経験談よりは、因果関係の把握に大変なエネルギーを注ぎ込んでいる近年の経済学が明らかにする知見は、子育て中の保護者の方に有用なのではないかと考えたのです。