教育にお金を掛けても、子どもの成績が下がるのはなぜか?

―― ここで、根本的な質問をさせていただきたいのですが、中室先生が教育経済学という学問を選んだのはどうしてでしょう?

中室 私は大学の学部を卒業後は、日本銀行で総合職として勤務していました。この頃は、実体経済や金融市場などのマクロ経済を対象とした分析をするエコノミストでしたが、2005年から、アメリカのワシントンDCにある世界銀行で勤務し始めたことから、教育・医療・労働などといった個人や企業を対象とした経済分析をするようになりました。

 世界銀行(世銀)は、「貧困の削減」を目標に掲げる国際機関で、世銀の投資先は開発途上国です。特に、私が当時担当していた国々は中央アジアや東ヨーロッパで、人々の生活の質を上げるために教育に多くの援助が振り向けられていました。学校を建設し、教員を雇用し、学費を無料にするなど、教育に関して、需要・供給の両面から幅広く投資が行われているにも関わらず、この地域の子どもたちの学力はぱっとしない。ちょうどこの頃、世銀を含む開発援助機関では、投資対効果ということが厳しく問われるようになってきていたこともあり、教育への投資が必ずしも開発途上国の成長に結びつかないという現実にショックを受けました。

 しかし、これは遠い世界だけで起こっていることとは限りません。私たちの身近でもこうしたことは起こり得ます。毎日勉強するように口をすっぱくして言っているし、塾や習い事に結構なお金をかけて行かせているのに、なぜかわが子の成績がぱっとしない。そういう悩みを抱えておられるご両親はおられるのではないでしょうか。教育に時間やお金を使いさえすれば、期待したような効果が上がるというわけではないのです。

 ここでもやはり、「因果関係」かどうか、という問いが重要になってきます。何が子どもの学力と「因果関係」があるのかということを知らずに、一見関係があるようにみえる「相関関係」に過ぎないことにお金や時間を使っても、結局期待したような効果は得られないということなのです。

 このため、開発援助の実務においては、まず特定の国や地域でパイロット事業を実施し、「何が子どもの学力と『因果関係』があるのか」ということを把握してから、それを国や地域全体に広げていくということが定着しています。このようなやり方は、開発途上国だけでなく、日本のように巨額の財政赤字を抱え、限られた財源しか教育に振り向けられない国にとっても有効でしょう。

―― なぜ東欧・中央アジア諸国では教育への投資が十分な効果を挙げられなかったと考えられているのでしょうか?

中室 一部の研究が指摘しているのは、労働市場が十分に競争的でないと、教育の収益率が低くなるということです。もう少し直感的に説明しましょう。東欧・中央アジア諸国のように、労働市場が十分に競争的でないと、縁故採用が横行するなどして、一生懸命勉強したからといっていい仕事に就けるとは限らないというわけです。そうすると、子どもたちは一生懸命勉強するインセンティブを失うでしょうし、親も同様に子どもに教育投資をしなくなるかもしれません。

 こうした研究が明らかにしたことは非常に重要です。第一に、子どもの教育は学校の中だけでは決まらないということです。子どもが一生懸命勉強しようというインセンティブを持つかどうかは、社会や経済の状況に大きく影響を受けます。第二に、子どもに一生懸命勉強しようと思わせるようなインセンティブをどのように設計するかということが非常に重要だということです。