“家族”の意味をもっと広義に解釈していけるといい

 様々な事情により家庭で育てられなくなった子ども達を、親の代わりに家庭で養育する里親制度というのがあります。私は里親認定委員をしていたことがありますが、里親、あるいは養子縁組といった血縁にこだわらない家族関係がおおらかに受け入れられ、市民権を得ていくことを望んでいます。日本は家族制度や血縁の結びつきが強いので浸透しづらいけれど、祝福されれば救える命はたくさんあると考えています。

 子どもは家庭で育つという意識も、その範疇をもっと広げて捉えてほしい

 私が保育士になるべく保母学院で学んでいたとき、児童福祉施設での見学、実習をたくさんしました。どこに行っても、子ども達が福祉法で守られ、大事にされていると感動しました。

 職員達は、子ども一人ひとりがかけがえのない存在であると愛情深く接していました。子ども達のほうも明るく無邪気で、伸び伸びと楽しそうにしていました。

 子ども同士、きょうだいのようなたくさんの仲間がいてね。本当に家族のようでした。必ずしも親が育てなくても、愛情深く子どもを見守る大人が近くにいれば子どもは安心して育っていきます

親は親、子どもは子ども。依存し合う必要は本来はない

 自分の幼少期を思い出してみても、特に家庭という居場所を意識したことはありませんでした。むしろ、親のいないみなし子に憧れていたんです。三度のごはんが食べられればどこだってよかったし、疎開して両親と離れて過ごしていたときも「お母さんが恋しい」なんて言いませんでした。 

 教育研究者の大田堯さんが、子どもは母親とは異なる、新しい生命だと強調しています。子どもは母親のおなかのなかで受精卵から胎児へと、自らに備わった力で成長し、外の世界に出てきた“異物”なのだと。だから、母親とは違う存在なのだと。親は親、子どもは子ども。依存し合う必要は本来はないんですって。