人口比の上で「子ども1:大人9」の社会になるとどうなるのか

 戦後にかけてこういう事態が進行してきたことは、少年と成人の犯罪率の推移をたどってみると分かります。図2は、1950~2014年の長期推移のグラフです。ここでの少年の犯罪率は、14~19歳人口をベースに出しているので、先ほどの国際統計の数値より高くなっていることにご留意ください。

 戦後初期のころは、少年と成人の犯罪率に大きな差はなかったのですが、1950年代の後半あたりから差が開いてきます。1998年には、少年の犯罪率は成人の10倍を超えました。最近は少年の犯罪率減少、成人の犯罪率微増により、差は縮まっています。しかしそれでも、少年と成人の乖離が国際的に見て格段に大きいことは、図1で見た通りです。

 人口の年齢構成変化により、子どもが減り、大人が増えてきています。子ども1人に向けられる、大人の(ウザい)まなざしの量が増えているわけです。近未来の日本は、人口比の上で「子ども1:大人9」の社会になりますが、こうなったとき、どういう事態になるか。ヒマを持て余し、子どもの一挙手一投足をとがめるのを生きがいにするような大人(高齢者)が増えたら、それは大変です。

 未来社会は、稀少な子どもが大事にされる社会でしょうが、反面、彼らにとって「生きづらい」社会になるかもしれません。

少年と成人の犯罪率の異常な乖離は大人社会の病理

 冒頭の「大人が子どもに対し、いかにゆがんだまなざしを向けているか。どれほど彼らをいじめているか」という文言の意味を、お分かりいただけたかと思います。未熟な子どもを大人がとがめるのは常ですが、大人の側も自らを律しないといけません。日本ではそれができておらず、非難やとがめが(不当に)子どもに集中している。少年と成人の犯罪率の異常な乖離は、その表れととれます。今回の統計から読み取るべきは、子どもではなく、大人社会の病理であると思います。

 長くなりましたので、この辺りで。次回は、われわれがお世話になっている保育士という仕事について考えてみたいと思います。

 キーワードは「給与」「やりがい」「感情労働」です。お楽しみに。