東日本大震災から1年後の2012年3月、当時5歳の娘と一緒に、米国・ハワイ州に親子留学に旅立った竹下聖さん。ハワイの就学年齢の5歳だった娘は、渡米後5カ月で現地の公立小学校に入学しました。日本ではマイペースで控えめな性格の娘も、アロハ精神あふれる双子の大家さんや、お友達に囲まれ、日増しに英語が上達。おおらかに成長していきました。

 <前編はこちら>
 国際色豊かなハワイへ 1000日間親子留学

現地の小学校へ、いざ入学

 ハワイに来て2カ月。ワイキキから車で10分ほどの落ち着いた住宅地に引っ越した5月半ばになると、私はすぐに娘の小学校の入学手続きを始めました。

 ハワイの学校では越境が認められており、教育に熱心な親達は、カハラ地区など環境のいい小学校に遠くから通わせます。カハラにも近かった私達の学区の小学校もなかなか激戦だったようで、学校の事務所に行くと「お母さん、残り3枠だから、急いで書類を準備して! 枠が埋まったら? そりゃ、もう一年プレスクールよ」と日系の女性スタッフに言われました。既に3月から申し込みは始まっていたようで、慌てて娘の健康診断などに走りました。

(左)娘が通った海の見える小学校。冬場のハワイには、毎日のように虹のアーチが架かります。子どもでも虹の七色の配色を正しく言えるのは、さすが!

(右)初登校の日に、真新しいバックパックを持ち緊張気味の娘。学校までは、日本と違い親の送迎が必要でした
(左)娘が通った海の見える小学校。冬場のハワイには、毎日のように虹のアーチが架かります。子どもでも虹の七色の配色を正しく言えるのは、さすが! (右)初登校の日に、真新しいバックパックを持ち緊張気味の娘。学校までは、日本と違い親の送迎が必要でした

幼稚園でも留年?

 ただハワイの学校は、人と違うことにも寛容で、学年の選択も緩やか。早生まれ(ハワイでは8~12月)の子は、実際わざと入学を1年遅らせたり、娘のクラスにもK(キンダー)学年を2年やる幼稚園留年?の友達もいました。2年目のクラスでは、リーダーシップが発揮でき、長い目で見て子どもの成長に得るものが多いようでした。

 さらに入学の1カ月前の7月になると、新入学に向けて各自用意する学用品リストが学校からメールで送られてきます。クレヨン1ダース、鉛筆3ダース、ティッシュ1箱…など20種類近く必要でした。鉛筆やティッシュはクラスに寄付し、皆が共用するスタイルで、各自持ち物にはキチッと名前を書いて管理する日本式とは全く異なり新鮮でした。

あっさり入学式と緑の校庭

 さらに驚いたのは、小学校入学時に日本のような華やかな入学式はなく、初日は子どもの適性を見極めるため学校で2時間過ごすだけ。それ以降は普通に学校がスタートし、夫も娘の入学に合わせハワイに来たのに、親の出る幕はゼロ。授業開始後1週間くらい経った夜に「カリキュラムナイト」と呼ばれる保護者会のような集まりがあり、1年間の学習内容をサラッと紹介されました。

 娘が通った現地の学校は、ほとんどの子どもがビーチサンダルで通い、カバーシューズ(指が見えない靴=スニーカー)で通学するのは週に1回、体育の授業がある日のみ。休み時間ともなると子ども達は、緑あふれる芝生の校庭ではだしのまま遊んだり、寝転がっておしゃべりしたり、実に伸び伸びと過ごしていました。5ドル払えば、両親も予約なしで、カフェテリアで子どもと一緒に給食が食べられ、とてもオープンな校風でした。

毎週金曜日に学校の中庭で開かれた朝の全校集会。朝礼の最後にはフラのクム(師匠)と一緒に隣の人と手をつないで、「アロハ・エ~」とチャントを唱和
毎週金曜日に学校の中庭で開かれた朝の全校集会。朝礼の最後にはフラのクム(師匠)と一緒に隣の人と手をつないで、「アロハ・エ~」とチャントを唱和