大家さんは、優しい家庭教師

 ちょうど渡米1年目の秋が終わるころ、賃貸で間借りして住んでいた豪邸が売れ、私達は2軒目の家に引っ越しをします。今度は60歳の双子の大家さん、デレクとゲレクと、その80歳を超える両親、そしてシングルファーザーのゲレクが育てる13歳の娘が住むおうちの離れです。小さなスタジオタイプの部屋でしたが、窓から海が見え、また日系の血も混じり、初対面から安心して話ができた双子の大家さんとは、心が通じるものがありました。

 母子留学の私達を家族同様に迎えてくれ、娘は学校から帰宅すると、夕飯までデレク達が住む母屋に入り浸り状態。子ども(いや孫?)のように優しく、根気強く接してもらううちに、英語も私の知らないうちに上達していきます。

(左)そっくりツインズのデレク(左)とゲレク(右)。ハワイ生まれの心の温かいロコボーイで、娘の英語と優しい心の成長を支えてくれました。帰国後も、交流は続いています

(右)2軒目に住んだカイムキの家の、双子の大家さんの家のリビングからの眺め。大家さん達は、物価高のハワイで食費を節約するため、家の庭でニワトリを4羽飼っていました
(左)そっくりツインズのデレク(左)とゲレク(右)。ハワイ生まれの心の温かいロコボーイで、娘の英語と優しい心の成長を支えてくれました。帰国後も、交流は続いています (右)2軒目に住んだカイムキの家の、双子の大家さんの家のリビングからの眺め。大家さん達は、物価高のハワイで食費を節約するため、家の庭でニワトリを4羽飼っていました

試行錯誤の英語道と娘の涙…

 私が途中からハワイ大学(UH)付属の語学学校に転校し、課題などが忙しくなったこともあり、娘は放課後のアフターケア(学童)プログラムに入り(月額80ドル)、5時過ぎまで学校で過ごしていました。英語のシャワーを浴びる時間が長くなるにつれ、また学童の若いリーダー(主にUHの学生)が時間を気にせず、娘の拙い会話に付き合ってくれるうち、伸び伸びと楽しみながら、娘の英語力もアップ。大家さんや学童の先生など身近な大人が、娘の英語の語彙や会話力を飛躍的に伸ばしてくれたと思います。

 半年ほどは学校のESLとは別に民間の英語レッスンにも通いましたが、ハワイでの3年間を振り返ってみても、娘が英語で苦労したという記憶は、正直あまりありませんでした。

 ただ一度、米国人と日本人のハーフで、日本語も英語も堪能なクラスメートに「日本人だから、日本語を話さないといけないんだよ!」と無邪気な発想で、少しきつく言われたことがありました。そのとき、娘が「セラだって頑張って英語で、話したいんだよっ!」とお友達に号泣しながら訴えたことがあり、娘の英語に対する思いに、ジーンとしたことを覚えています。

 こうしてキンダー学年が終わるころに、娘は州の英語テストに何とかパス。次の学年からはESLは免除になりました。私は感激するほどうれしかったのですが、娘はESLの先生が大好きで、英語力にもまだ若干不安があったので、担任の先生に頼み、次の学年でも週に1時間だけ特別に通わせてもらいました。このころになると双子の大家さんにも「セラの発音は、ほとんどネーティブ」と言われました。

可愛がってもらった学童の先生、ミス・キアナ。外で遊んだり、宿題をしたり、専門の先生にフラダンスや中国語を習ったり、放課後も楽しく過ごしました
可愛がってもらった学童の先生、ミス・キアナ。外で遊んだり、宿題をしたり、専門の先生にフラダンスや中国語を習ったり、放課後も楽しく過ごしました