治療に「正解」はない。一人ひとりの症状を見極めて判断していくもの
こんにちは。「知ろう小児医療 守ろう子ども達の会」代表の阿真京子です。正反対の医師の意見に出合ったとき、「どちらを信じればよいのか迷ってしまう」という声が私のところにも多く寄せられます。
医療分野で良いとされる証拠(エビデンス)が明確なものについては、学会などで作られた標準的な診療指針(ガイドライン)があります。それに基づいた標準的な治療を行うことが、その時点では「正しい」と言えると思います。
しかし、冒頭のエピソードのように、明確なエビデンスがないことについてはどうでしょうか?
それぞれの主張をする医師には、それぞれに理由があります。どちらにも良い面、悪い面はあるでしょう。「正解は一つ」ではありません。
また、「今の主流はこちら」ということは、あります。明確なエビデンスがなくとも、数多くの患者を診ている医師の大半がそう判断するのであれば、そちらがその時点では正しいということはあるでしょう。
ただ、後の研究で変わることもあり得ます。
患者は一人ひとり違います。その人にとって最善の治療を同じように行っても、同じ結果が得られるとは限りません。
私も、今の活動を行う前は、「先生は子どもの症状を見たらぱっと正解が分かるもの」「この症状ならこの治療法というように、正解は一つ」だと思い込んでいました。実際は「親から子どもの経過を聞きつつ、目の前の子の様子を見極め、判断していくもの」であるとは、みじんも思っていなかったのです。
学会で目の当たりにする医師達の懸命な姿
ここ数年、「知ろう小児医療 守ろう子ども達の会」の活動を発表する機会を多くいただき、たくさんの学会に参加しています。学会に行くたびに驚くのが、人を助けようと懸命に努力している医師達の姿です。
どれだけの努力と失敗を重ね、たくさんの悲しいことも経て、今の医療にたどり着いたのかという現実、そしてこれからの医療をより良いものに発展させようとしている医師達の姿を目の当たりにします。
逆に、不真面目で学会にも行かず、論文も読まず、勉強もせず、情報の更新をしない医師を、私達はしっかり見極めなければと強く感じるのです。
「医療に正解はない」けれども、より良いと思われる方法を懸命に模索し、自らの命を削り、多くの人の命を救おうとしている医師は確かにいます。そのことを私達患者はまったく知らなかったということを痛感したのです。