子の痛みが自分の痛みじゃなくなったときが子離れなのかも

 そんなことを言うと「どこまでネガティブやねん」と知人友人に笑われるし、「毎日、今日こそは何かが起こるのではないかと不安でどうしようもない」と言うと、子どもを持つある男性の友人は「わかるけど、でも子どもの人生じゃん、死んだりケガしたりするときはするし。そういうのはどっかで割り切らないと」と、わりにさくっと話してくれる。

 そ、そうだよね、みんな、たとえば中学生とかになったらほんとにどこで何してるかわからないような距離感になるし、わたしもそうだったし、わりにうまくやってるものな……わたしの母親だって、わたしが怪我したり手術しても、「大変ね、かわいそう」ぐらいのことは思うかもしれないけれど、それ以上に自分が痛い、ってことはもうないだろう。たとえば今わたしが死んでも、大変だとは思うだろうけれど、でも充分生きたし、「この子はそういう運命だったのだな」ぐらいにいい感じの諦めというか、客観視できるというか、ショックでもないような気がする、何というか、身体的に。

 そう、子離れ、っていうのは、もしかしたら、子の痛みが自分の痛みじゃなくなったときのことを言うのかもしれませんね。そのときがきて、はじめて体が別である他人、になるのかも知れない。子の心身が自立する、というのは、そういうことなのかもしれないなあ……それっていつかな、中学生くらいなのかな……ああ、早くそのときが来て欲しいような、欲しくないような……今日もフレシネを飲みながら、そんなことを考えた。

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