お弁当は小さな国際社会

 私がこの園で最初に国際色を感じたのは、ボランティアで同行したミニ遠足の日でした。近くの消防署まで見学に行き、お昼のお弁当の時間に、チラリと中身をのぞいてみると実にお国柄が豊かです。サンドイッチに紙パックのジュースの子もいれば、中国系の子はチャーハンにビニール袋に入れた果物など。それを皆が当たり前に受け止め、美味しそうに食べており、様々な人種が共存するハワイの縮図を見ているようでした。

学生に戻った母親

 さて母親である私の学校も、渡米後1カ月過ぎからスタートし、平日の9時から13時まで通いました。学生ビザの場合、週に18時間以上の授業出席が必要で、病欠も含め月に許される欠席は3日まで。子どもが熱を出す可能性もあり、異国で「疑似シングルマザー」状態の身には、なかなかハラハラする条件でした。

 学校に通って驚いたのは、私と同様に長期の親子留学で来ている韓国人ママがたくさんいたこと。二人や三人子どもを連れて来ているママもおり、かなり励まされました。

 私にとっては、10年ぶりの授業。正直、子どもとの安全な生活が第一で、自分の英語力アップは期待していませんでしたが、半年通った語学学校やその後転校したハワイ大学付属の語学学校、また現地での体当たり育児で、独身時代に700点台だったTOEICの点数も、特にテスト対策もせず、帰国間際に受けたときは800点台の後半にあがっていました。

(左)近くの消防署で放水体験をさせてもらった娘。ハワイの消防車は夜間でも目立つようにとの理由で、車体が黄色です

(右)ワイキキの語学学校の卒業の日にジョシュ先生と。世界的観光地のハワイだけに、欧州や南米など様々な国から生徒が集まっていました
(左)近くの消防署で放水体験をさせてもらった娘。ハワイの消防車は夜間でも目立つようにとの理由で、車体が黄色です (右)ワイキキの語学学校の卒業の日にジョシュ先生と。世界的観光地のハワイだけに、欧州や南米など様々な国から生徒が集まっていました

苦労したお部屋探し

 無我夢中で過ぎた最初の3カ月ですが、やはり一番苦労したのは住居の問題でした。ハワイに住んで最初の2週間は、日本から予約した小さなホテルに滞在。母子で住む部屋は「自分の目で見て決めたい」と、長期的に住むお部屋は手配していませんでした。

 実際、ワイキキ内には日本語の通じる不動産屋がたくさんありますし、私は現地についてからネットの日本語掲示板で、日本人も多く住む高層コンドミニアムを見つけ、大家さんと直接1年契約をしました。ただ、便利だろうと選んだワイキキは、腰を落ち着けて住んでみると、朝晩の車の騒音がひどく、観光客も賑やかで落ち着きません。「こんな暮らしをするために、ハワイに来たんじゃない」と1カ月も待たずワイキキ脱出を決意しました。