ホンモノの自然体験をたっぷりと
親野 なぜかといいますと、ホンモノの自然体験をしていないと、何に関しても頭だけでの理解になることが多くなってしまうからです。例えば、カブトムシを幼虫や卵から親と一緒に飼育した経験のある子であれば、途中でサナギになって成虫になるまでの過程を知っています。
3年生になると、昆虫には2種類あって、途中でサナギになるのは「完全変態」で、バッタのような、途中でサナギにならずに成虫になるのを「不完全変態」だと習うわけです。そのときに「ああ、そういえば、カブトムシはそうだった」と、経験したことがある子どもは深く納得します。
ところが、何も経験していない子どもにとっては、どうでもいいこととしか思えないのです。とりあえず、「バッタは不完全変態で、カブトムシは完全変態」だから覚えておこうと思うだけ。それではつまらないですよね。
──同じ学びにしても、実際に体験したことに関連しているかどうかで、興味の持ち方も大きく違ってくるということですね。
親野 そうですね。さらに、小さいころに自然にたっぷり触れておくということは、感性を育てるという意味でも、とても大事なことです。もちろん、絵本の世界にたくさん触れる体験も感性を大きく育ててはくれますが、あくまでも想像の世界でしかありません。
夏の里山に行ったり、水田を眺めて草の匂いをかいだりしてみる。たくさんの落ち葉を布団にして寝てみたら暖かかったとか、そういった体験もとても大事です。
蝶々をジックリと観察したり、クモの糸に水が滴っていて美しいなあと思うといったホンモノの自然体験は、子どもの感性を育ててくれます。自然は奥深いものですから、感性とともに、創造力も無限大に広げてくれます。こういった力は、芸術的な創造力や科学的探究心の源にもなります。
「不思議だなあ」とか「キレイだなあ」と感じる力が源となって芸術や科学は発達してきたわけですから、そのモチベーションの根本になる体験をしてきた子どもと、そうでない子どもとでは、後々の伸び方が大きく異なってきます。
想像の世界だけでは、どうしても薄っぺらいものになりがちです。すべての勉強において、ホンモノの体験が薄いままだと、動機付けができないので勉強でもなかなか伸びません。とりあえず、勉強だから覚えておこう、といった感じで終わってしまうのです。
──親のどちらかの実家が地方であれば帰省時に自然に触れさせることもできますが、それができない場合はどうするのがいいのでしょうか?
親野 東京であれば、高尾山あたりにちょっと行ってみるといったことでもいいのではないでしょうか。ちょっとだけ親が意識してあげることができれば、自然に触れさせる体験ができるところは他にもたくさんあると思います。
もちろん、遠出しなくても、近くの木々がたくさんあるような大きめの公園でもいいと思います。大きな木があれば、秋から冬にかけてはドングリがあったり、落ち葉もたくさんあるわけですから。もちろん、そういうところでは昆虫採集だってできるでしょう。都会でも親が意識さえすれば、できることはたくさんあると思います。
すべてが想像の世界だけでは、バーチャルな体験ばかりになって、どうしても肝心なところが抜け落ちてしまうものなんです。親が意識して、できるだけ色んな自然体験をさせてあげられるように工夫をしてもらいたいですね。