話は少しずれるかもしれないけれど、しかしいろんな文脈で「2人目問題」って、ありますよね。育児におけるキャパシティって、環境とか性格とかによるから個人によってまったく違う。3人だって余裕で育てられる人もいるだろうし、1人育てるだけでも産後鬱になってしまう人もいる。何にでも「だいだいの目安」とか「常識的に考えれば」みたいな基準ってあるかもしれないけれど、でも人間が人間を生んで育てるという子育てにかんしては、そういうのって存在しないんじゃないだろうかと感じている。

2人目出産を善意で勧めてくれるのだけど

 でも、世間は「やっぱり子どもはいたほうがいい」とか「きょうだいがいないとかわいそう」とか、個人の事情はまるで存在しないような目線で──そしてその多くは善意として、勧めてくれる。わたしの場合も、「で、2人目の予定は?」と質問されることがとても多く、「うちは親の性格的にも環境的にも2人目は考えられないので、1人だけです」といくらはっきり答えても、善意の人たちは納得してくれないことが多い。ご自身にとって良いと思うものはきっと他人にとっても良いものだから、「あなたは知らないだけなのよ」的な信念とともに、何があっても勧めるちからを緩めてくれないのである。「小さいうちは大変でも、大きくなったらきょうだいで遊ぶようになるから、ぜったい生んだほうがいい。ラクになるし、助けてくれるよ」、「ひとりっこは寂しいよ。親がいなくなったとき支えになるきょうだいを残すのも親のつとめでは?」みたいな感じで2人目を勧められるたびに、「ああ、たまに会う人だからこちらも笑って流せるし残らないけれど、姑とか身近なところにこんなテンションの人がいたら、わりに地獄だろうな……」と、なんとなくぞっとするのだった。本人たちにしてみれば、なにか「いいもの」を「シェア」している感覚なのかもしれないけれど……。

 だからわたしは「子どもって、いいですか?」と聞かれたら自分の考えを話すけれど、聞かれなかったら言わない。人によるもの。何事も経験ではあるけれど、自分の幸せな体験や確信や思いなんかを、自分自身で鵜呑みにして、それを人にそのまま押しつける、みたいなことはしないでいたいなと思う。そういうのは、たまたま、そのときの自分がそう感じただけのことなんだから。そこのところをきちんと自覚して扱っていきたいものですね。そんなことを、今日もフレシネを飲みつつ考えた。

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