ハイヒールのコツコツという音が廊下から聞こえてきた

昨年、東京で行われた特別記者会見の場で母と
昨年、東京で行われた特別記者会見の場で母と

西野 子どものとき、小学校、中学校で授業参観があると、主婦のお母さん達は時間より早く来て教室で待っているんです。でも、うちの母は仕事をしていたので、いつもちょっと遅れて来る。そのときに、ハイヒールのコツコツという音が廊下から聞こえるんですよね。そうすると、同級生達に「あれ、西野のお母さんやろ」って言われて鼻が高かった。当時、スーツやハイヒールで学校に来るお母さんはいなかったので、子ども心に「うちのお母さん、かっこいいな」と思っていたんです

 もちろん、小さいころは朝早く両親が家を出ていって、夜まで祖父母と帰りを待つ日々を寂しいと思っていました。でも、どんなに疲れて帰ってきても、母はすごくおいしい夜ごはんを作ってくれた。仕事をしていても家のことには手を抜かない母だったので、何かが足りないという思いはなかったですね。母としては一日中、わが子と一緒にいたいと思っていたでしょうが。

―― さっそうとしたスーツ姿から、母親が子どものために何かを犠牲にしているのではなく、自分の意志で自分の人生を生きているということを感じとっていたのでしょうか。

西野  そうですね。私が幼稚園のときに描いた絵では、父はもちろんスーツ姿で、母もスーツにハイヒール姿。その絵、今でも残っているんです。まず、他のお母さんと服装が違うというところで、かっこいいという強い印象があったんでしょうね。私も、母のような輝いている女性になりたいという憧れがありました。それが今、バレリーナとしてバレエに打ち込む姿を見て、息子からかっこいい親だと思われたいという気持ちにつながっています。

―― 映画では、妊娠中レッスンをすることや産後もプリンシパルを続けることについて、身重の体を心配したお母さんに「そこまでする必要があるのか」と言われ、西野さんがつらい表情を見せる場面がありましたね。

母と17歳のとき、留学先のロンドンで
母と17歳のとき、留学先のロンドンで

西野  憧れてきた母に「トップはもういいんじゃないの」と言われたのは、一番ショックでしたね。何でそんなこと言うの?と思い、だから、映画でも涙を流していたシーンがありました。ただ、私のことを心配して出た言葉というのはよく分かっていましたし、私はプロのバレリーナであるけれど、母親としては新米。母は、出産、育児がどれだけ大変かを経験から分かっていたからこそ、そういう言葉を発したんだと思います。

 ただ、キャリアウーマンである母と、バレリーナである自分では、体への意識がまったく違う。そういった葛藤を乗り越えて、それでもやりたいと思えたのはプロとしてのプライドですね。これまでの人生で、何もかも犠牲にして達成してきたことを、子どもができたという理由でやめることはできませんでした。子どもができたからバレエを諦めるのは、この世界ではよくあることです。でも、私にとってバレエは人生そのものだから切り離せなかった。今日の私があるのは、バレエがあるからと100%言えます。何かのために諦めるなんてできないんです。

―― 前例がないというだけで、結婚、出産のために何かを諦めてきた女性も多いのかもしれませんね。

西野  思い込みとは怖いものですよね。もし、しょうがなく別の道を選択したとしても、自分の夢を何か持ち続けるべきだと思います。だって、母親に夢がなかったら、自分の子どもに夢の素晴らしさを伝えてあげられないから。そういう意味で、親の力ってすごく偉大だと思うんです。