社会が人を作るのか。はたまた個人が人を作るのか。もちろんそれは同時にあるのだろうけれど、だとしたらやっぱりできることを同時にやっていくしかないですよね。わたし個人の取り組みや仕事のあれこれもあるけれど、やはり目下の課題と問題は、息子を生んだこと──社会のOS側に存在する性である息子を生んだことにまつわる責任というのがひとつ、あるような気がする。

子どもたちにフェアネスを教え続けるしかない

 とにかく、人間はフェアであるのだと徹底的に教えること。いっさいの性別的役割分担を認めないこと。重い荷物を持つのは男だからではなく、そのとき力に余裕がある人が引き受けるべきなのだし(力持ちのお母さんもいますし、逆もまた)、母親が家事をするのは、母親が「女だから」ではない。社会における認識とギャップがあるとしても、このことをまずいちばん身近な常識として教えつづけるしかないと思う。

 家事&育児&フェアネスにおける異議申し立ての切実さなんて、けっきょく男性OS社会では問題にもされない案件かもしれないけれど、しかし生活の様々が形つくってゆく価値観は、やがてそのまま社会につながってゆくのだ。いつか妻になり、母になり、そして夫となり父親になるかもしれない子どもたちにとって、フェアであることが常識として備わるように。今日もフレシネを飲んでそんなふうに考えた。

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