たしかにわたしの同級生で、ものすごく家がお金持ちで習い事もすごくて立派な自分の部屋もあって家庭教師がついているのに、ほんとに見事にオール1、みたいな女の子がいた。いっぽう、両親ともに耳が不自由で手話でコミュニケーションしていた一家の男の子がいた。本人は新聞配達のアルバイトをし、もちろん塾になど通わず、日々小さなきょうだいたちの面倒を見ていて、しかしそんな彼は学年でダントツで成績が良かった(今は大学の研究者になってるみたい)。中学のとき、「環境って、関係ないんだな……」としみじみ思ったことをよく覚えている。

親しか与えてあげられない環境もある

 しかしまあ、これは極端な例ではあって、そのどちらでもないような、学力的に個性のない中間的な子どものために、小学校受験というのは意味があるのかもしれないな、とは思う。わたしの友人で東大を出て大学教授をしている女性がいて、そんな彼女は壮絶なスパルタ偏差値教育を受けて育った。小学生時代、のんきに遊んだ記憶がないと言う。模試の結果が母親にみつかるのが恐怖で、ポストの隣で待つような日々。彼女に「とはいっても、やっぱり地頭が良かったからでは」と聞くと、「それはわからない。しかし、わたしの親に育てられたら、東大に入るしかないし、たぶん誰でも入れる。だって、生き死にの問題だったから。東大に受からないという選択はなかった。殺されると思っていた」と真顔で言っていた。大変だったけど、今では親に心から感謝していると彼女は言う。

 また、ある医者の友達などはこんなふうに言う。「勉強をする喜びとか、やりがいとかって、ある程度教えられるものだよ。ただ遊んでるだけの毎日じゃ、それに気がつくこともできない。勉強する楽しさに気づかせてあげる環境は大事だよ。わたしは親に医者になりなさい、なれたらいいね、と言われつづけて、そういう意識が芽生えた。もし何にも言われてなかったら、そんな世界と可能性があることにも気づけなかったと思う。親に感謝している」

 なるほど……それに最近は、子どもの学力は親の年収に比例する、という調査結果も出ている。つまりお金に余裕があるということは、より意識高く、高水準の教育を受けさせることができるというシンプルな話。地頭も素質も大事な要素ではあるだろうけれど、やはり環境こそが大きくモノを言うというわけだ。いわゆる独自で道を切り開き、たたき上げで成功した人というのは、とてつもなくレアだからこそ話題になるだけ。多くの人はそうではない。それなりの成功というのは、ある種の計画性と傾向の延長でなされるものなのだ……。

 ど、どうしたらええのやろう……とそれなりに考えてはみたけれど、結局わたしは、小学校受験をせずに、公立の小学校に行かせるという結論に落ち着いた(まだちょっと先だけど)。