女性の雇用拡大が国家プロジェクトになっている今、保育園の待機児童問題解消が急ピッチで進められています。しかし、施設整備の遅れや、現場の理解不足などで、職場復帰を妨げられ、キャリアチェンジを余儀なくされるワーママがまだまだ多いというのも事実。そんなママ達が、何をきっかけにどのような選択をしてきたのか。生の声をお届けします。

【あらすじ】
会社員の夫と4歳の娘を持つ長岡美穂さん。大学を卒業後、環境系シンクタンク、政府系研究開発機関などを経て、外資系戦略コンサルティングファームのコンサルタントに転身されたという経歴の持ち主です。でも自分自身の“保活”に関しては思い通りにはいかず……。保活と再就職活動を並行して行う中で、女性が社会で活躍し続けるための社会インフラの貧弱さを実感します。「出産・育児を経て、再度社会で活躍したいと思う女性がチャレンジできない社会はおかしい」。怒りをパワーに変えて突き進む、ママ起業家のストーリーです。

高校時代、「公共政策を仕事にしたい」と決意

 私が高校2年生のときでしたでしょうか。テレビで、カンボジアの内戦後に総選挙実施のために活動していた日本人が殺害されたニュースを見ました。「その国を良くしようとしていた人が殺されてしまう世界って何なんだろう」と衝撃を受け、「私も発展途上国の国際協力や開発援助の道に進んで、貧困や紛争の解決に貢献したい」と考え、慶應義塾大学総合政策学部に進みました。そこで学んだ数々のアプローチ方法の中から、環境の専門家として問題に関わっていこうと心に決めたのです。

 就職先は、社員数名の環境系シンクタンク。所長が個性派で「この組織での経験は、他では得難いものであるはず」と思い、他に頂いた大手企業の内定を辞退しました。親にも反対されましたが、私には価値ある選択でした。長くはありませんでしたが、充実した濃い期間を過ごしました。

 続いてまた別の環境系シンクタンクに勤務。この二つのシンクタンクでは、官庁や自治体の仕事に従事しました。その後、宇宙開発事業団に出向し、国際研究プログラムの運営事務を担当しました。

 こうした公的機関での仕事を通して感じたのは、スピード感や政策効果に対する疑問。公の仕事にやりがいは感じていましたが、「このままここで仕事をしていて、自分は一体どのくらい世の中に貢献できるのだろうか」、と思うようになりました。

 税金を使って行われる政策ですから、「最少の投資で最大の効用を上げる」べきです。その考え方を公共部門に導入するには、まず自分がそのスキルを身に付けなければと考えました。そして、それを日々要求されているのは企業、つまり民間で勉強するしかないと考え、多くの企業の事例や最新の経営モデルが学べる経営コンサルティング業界へ進むことにしました。

 「40歳を過ぎたら公共政策の仕事に携わりたい」という夢もあったので、武者修行として、まず日系の会計系コンサルティングファームに転職したのです。

「35歳で第一子を産む」という目標から逆算し、婚期やキャリアを計画

画像はイメージです
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 そのファームでは、経営管理や会計・業務に関するプロジェクトで多くの企業を支援し、仕事は充実し、会社に不満はありませんでした。ただ、かなりハードで月の労働時間が400時間を超えることも。当時30歳。永続的に働き続けるには無理があるとは感じていました。

 また漠然と「35歳で第一子を産めたらいいな」という思いがあり、逆算すると「33歳には結婚しないといけない」。となると“死ぬほど働ける時間”はあと2~3年しかない。

 今から9年前ですから、子どもを産んで社会復帰すると、有名企業で総合職として勤務していた方でも、ご自身としては不本意な、パート事務に収まっているといった話も見聞きしました。そこで先々のことを考えて、名実ともにスキルアップできる、外資系戦略コンサルティングファームの最大手にダメ元でアプローチ。自他共に冗談のようなチャレンジでしたが、奇跡的に内定が取れました。

 このコンサルティングファームで働き始めて数年後、今の夫と知り合い結婚。その後すぐに夫の転勤が決まって退職。夫とともに地方へ移住することになりました。