私立派の意見はだいたいこんな感じ。

1) 受験ってネガティヴな感じもあるけれど、落ちても受かっても、塾などで教えてもらうことはマナーだったり、基本的なことだったりするので邪魔にならない。むしろ教育上、大切なことでないだろうか。

2) それに中学受験のほうがもっと大変。親が全面的にサポートしなければならない。どうせ受験しなければないないのなら、小さいうちに済ませておいたほうが、負担が少ない。

3) 私立は家庭環境が似たりよったりだから教育上良くないんじゃないかと言われることもあるけれど、合わなかったらいつでもやめて地元の公立校へ入り直すことはできる。

4) そして、やっぱり私立はきちんと勉強をさせてくれるところが多い。カリキュラム、理念がしっかりしている。

5) 何を勉強するかも大事だけれど、どういう人たちと知り合い、付き合っていくかということもとても大事。

 中学受験するのが前提になっているのがすごいなと思ったけれど、まあだいたいこんなところ。そうか、子どもの将来のためにはこんなにもレールを敷いてやんなきゃだめなのか……学歴って……とわたしは震えた。

だいたいのことは「生きていれば学べる」ではダメ?

 というのも、わたし自身、いっさい学歴と名の付くものと無縁でやってきて、小説の書き方はおろか、学校でこれ、ということを習ったことがないのだからしょうがない。だいたいのことは生きることと本を読むこと、そして興味を持ったものにたいする意欲で学ぶことができると思ってこれまでやってきたけど、その認識ってダメなんだろうか。そう言うと、ママ友は「うん、それもいいけど、学歴はべつに邪魔にならないでしょ」、そして「言っておくけど、あなたは超ラッキーなだけ。行っても行かなくてもおんなじような大学出て、やりたいこともなくて、才能もなかったら人生どうなるの? 朝から晩まで安い給料で働かされるだけ。そんなのわたしは絶対いや」

 たしかに、言わんとすることはちょっとだけわかる。というのも、わたしがふだん一緒に仕事したり付き合いのある人たちってその多くが編集者で(あとは学者、研究者、文筆家など)、なんとなーく、それが当然のように感じているところもあったのだ。つまり、ただ普通に生きていれば、なんかこんなふうな会社に勤めて、いわゆるやりがいのある職業に就くんだろうな、というような、そんな思い込みがたしかにあった。

 でも、聞いてみれば彼らはみんな、早稲田慶応は当たり前で、京大とか東大、国立&外語大とか、実際のところ、そんな出身者ばかりなのだ。会社だって、みんなが知っているいわゆる大会社なのだ。こ、これが当たり前じゃないんだよな……考えてみれば当然のことに気がついたのだった。