上履きの洗い方を教えた

ベランダで自分の上履きを洗う息子さん
ベランダで自分の上履きを洗う息子さん

―― そして、2015年1月からは職場にも復帰しているのですよね。最初に告知を受けたときは3歳だったお子さんももう6歳。ママががんであることは理解していると思いますか?

久野 今は、完全に分かっていますね。きちんと病名を伝えたのは、年中のころ、4歳か5歳のときです。というのも、そのころ大腿骨を骨折してしまって松葉づえ生活だったんです。足が痛くて病院で検査したら、骨折していることが分かった。つまり、がんが骨に転移していたのです。

 息子には「なんで松葉づえなの?」と聞かれました。「松葉づえで幼稚園に来ないで」とも言われたので、がんのことを話しました。「病気が進行して、骨にもがんがいて、骨折したんだ」って。

 骨折してから、しゃがんで上履きを洗うのがとてもつらくなったので、「上履きは自分で洗いなさい」と洗い方を教えました。今も彼は、自分で上履きを洗っていますよ。乳がんの手術をして以来、私は右腕を高く上げられなくなったので、私が左手だけで洗濯物を干していると、自分で台を持ってきて干すのを手伝ってくれます。料理をしていると、「僕もやりたい」と言って横で包丁とまな板使って切ったりと、日常的にたくさん手伝ってくれています。

 もともとお手伝い好きでは全然ないんですよ。私も、上履きを洗うこと以外は「やりなさい」と言ったこともないのですが、私ができないことははっきりと「ママはできない」と言っているためか、炊事洗濯、掃除と、家事は自然と手伝ってくれるようになりましたね。

ママがいなくなったら星を見なさい

―― がんという病気の性質上、進行するかもしれないし、もしかしたらお別れするかもしれない、という話をすることもあるのですか?

久野 あえて正面から話すことはないですし、今は私も元気だから、すぐに「お別れ」というイメージはないかもしれません。ただ、息子は星を見るのが好きで、つい先日も、「ママ今日は星がすごくきれいだから、明日は晴れるよ」と言うので、「そうだね、星きれいだね」と返した後に言ったんです。「もしママがいなくなるときがあったら、星を見なさい。あの一番光っている星にママが住んでいるから」と。そのとき「どうしてママは星になるの?」とは聞いてこなかったので、たぶん分かっているんだろうなと思いました。

―― 泣いたりすることはなく?

久野 そうですね。なんとなく受け止めている、と感じます。

 私、実は2015年10月に離婚もしているんです。今にして思えば、外ではこんなふうにカッコ良くヒールはいて仕事していますけど、家帰ったら「あー疲れた」とだんなに当たっていたんですよ。だんなも仕事で疲れているのに。やれあそこが痛いだの、今日はこんなことがあっただの、私はがんなのになんでこんなことをしなくてはいけないだのと。

 それで「美穂ちゃんは当たるところがあっていいよね。僕は誰にあたればいいんだ」と言われたことがあるんです。一緒にいることでケンカも多くなってしまって、それはがんの体にもよくないと感じたし、一緒にいることでつらくなるなら一緒にいないほうがいいよね、と。

 だんなと別れて子どもと二人で生活してみてどうかなと思ったら、意外と楽しくて(笑)。ただ、シングルマザーでおまけにがんで、息子に過剰なストレスがかかって、体や心に何か表れたりするのではないかと心配したのですが、今のところ特にそういうことはなくて。「強いなこの子は」と思っています。6歳にして荒波を乗り越えてきている。すごく気持ちの強い子だと思っています。

―― 後編(「がんママ 『子どもとの城を守る』がモチベーション」)では、がんになってからの仕事への思い、新たに見えてきた大切なことと、伝えたい思いについて伺います。

(文/Integra Software Services)