気がついたら、泣きながらメールを打っていた

―― いきなり「悪性だな」と言われたとき、どんな気持ちだったか覚えていますか?

久野 「え?」と思いました。「何を言っているんだこの人は?」と。仕事も3件ほど抱えていましたし、まだ子どもも小さいし、いきなり「悪性」と言われてもよく分からない。その場で細胞診をして、「1週間後の結果を待ちましょう」と言われました。

 悶々としながらも普通に会社で働き、そして、1週間後。細胞診の結果、“ステージⅡB”であることが分かりました。上司に報告したら、「“ⅡB”って何だ?」と。「私もよく分からないんですが、4段階あるうちの2なのでまあ大丈夫じゃないですか。とりあえず手術は必要みたいです」「そうかそうか、仕事はどうなるんだ?」「手術まで仕事はしますよ」というようなやりとりがありました。

 ところが、デスクに戻ると、いつも通りガンガンかかってくる電話に対応できなくなっていて、気がついたら涙を流しながらメールを打っていたんです。それで「ああ、こんなことをしている場合じゃない」と考えて、手書きでA4用紙にびっちり3枚、引き継ぎ書を書き上げて、「私、明日から来ません」と言って提出しました。仕事ってダラダラと続くものですよね。バサッと切らないとダメだなと思ったんです。

 次の日から、私は病院探しです。診断を下した医師が地元埼玉の大学病院に紹介状を書いてくれたのですが、「名医がいる」ということで都心の有名な大学病院を選びました。ところが、その病院に行ってみると、3時間待ち、4時間待ちで診察は5分でおしまい。聞きたいことも聞けず、聞くと嫌な顔をされる。そんな状況でした。

「抗がん剤、やらなければ死んじゃうよ」

―― それでも、そこの大学病院で、術前化学療法から外科手術、手術後の放射線治療までを受けたのですよね?

久野 そうです。最初の半年間は術前化学療法といって、抗がん剤でがんをできるだけ小さくしてから、2013年10月に右乳房の全摘手術を受けました。その後、25日間の放射線治療も受けました。これで元気に職場にも復帰しようと、すごく前向きだったんです。

 ところが2014年4月に、30カ所近くに骨転移しているのが見つかりました。私にとって、乳がんだけで終わるのと転移しているのとでは、天国と地獄ほどの違いがあった。なのに先生からは特別な説明も無く、「じゃ、僕はこれから会議があるから、あとは腫瘍内科の先生に抗がん剤治療の話を聞いてください」と言われ、その腫瘍内科の先生も「おつらいでしょうけれども」と言いながら、抗がん剤を3種類くらい出してくるのです。

 私は前回の抗がん剤治療が本当に苦しくて、全然効いている気もしなくて、きっと私の体に合わないのだろうと思ったので、今回はそのときよりもさらに強い薬だと聞いて「やりたくない」と言いました。そうすると先生は「やらなくてもいいけど、君、死んじゃうよ?」って。

 「でも、私やっと髪の毛も生えてきて、もう少し楽しみたいんですよ、生きていることを。髪も伸ばしたいし、おしゃれもしたいのに、抗がん剤治療をすると副作用で顔もぱんぱんに膨れ上がってしまうし、太っちゃうし、顔色も土色になっちゃってファンデーションのどの色も合わなくなってしまう。だからイヤです」って。「一刻を争うから来週から始めたほうがいい」と言われたのですが、「1週間猶予をください」と言って、前から予定していた通り、母と息子の3人で石垣島に旅行に行ったんです。