子育てから仕事から夫婦関係から社会問題まで、働く母とはなんと多くの顔を持って生きていることだろう。最愛の息子を育てながら小説家として活躍する川上未映子さんが、素敵も嘆きもぜんぶ詰め込んだ日々を全16回にわたりDUAL読者にお届けします。第7回のテーマは、「結婚後の恋愛観」についてです。

 いかにも、妊娠・出産・育児は、女性の人生をまるっと変えてしまう疾風怒涛の連続だ。変わってしまうもの、変わらないもの……何がどれくらい大事で、どれがべつにそうでもないのか。今日もフレシネを飲んで考えた。

 以前、『きみは赤ちゃん』という子育て&育児エッセイを刊行したときに、某サイトで「お悩み相談」をしたことがある。妊娠、出産、子育て、そのほか女性が生きることにまつわることならなんでも、という感じで募集したのだけれど、ほんとにいろいろな相談が寄せられた。会ったことも話したこともない方々なのに、「何でこんなにわかるかよ」の連続。「家事・育児・仕事の両立が過酷すぎて、いっそ仕事をやめたほうがいいのじゃないかと思ってしまう」「産後クライシスだったときの、夫への恨みが消えてくれない」などなど、きっと今日も子どもを保育園に迎えにゆく道々で、そして暗い寝室で、誰かが呟いているだろう、リアルかつ共感できるものばかりなのだった。

 しかしなかには「そうか、産むまえに、わりとそこが心配なのか……!」と驚きとともに新鮮だったお悩みもあって、それは「母親になると、女でなくなるような気がして怖い。わたしはずっと女でいたい」というようなもの。具体的には、「子どもを産んだら、自分という存在が母親というものになってしまい、女性として見てもらえなくなるではないか」という感じ。

妊娠中、「女」でも「母親」でもなくなった

 言われてみれば、もちろんわかる。わたしも、性的活動が完全にストップせざるをえなかった妊娠中、かつてないほどに苛々した覚えがある。妊娠中は、いわゆる「女」ではなく、まだ「母親」でもなく、かといって「祖母」でも、ましてや「少女」なんかでは絶対にない(当然か)状態で、戸惑うばかりの日々だった。性的に欲望されることにアイデンティティをほぼ預けていないという自覚のあったわたしでさえ、自分がなんだかよくわからない物体になったみたいで、毎日本当に苛々したものな……。