その意味では、「母親になってしまったら女じゃなくなるのではないか」と心配するのも、妊娠中と地続きの問題として、すごく理解できる。でも、産むまえからそこをきちんと心配できるポテンシャルがあるなら、そういう人は、きっとうまく「女のまま」でいられるんじゃないだろうか。

 というのも、いくら妊娠、出産、育児が女性の生活を大きく変化させようと、やっぱり自分の生活やチョイスを決定しているのは、本人の「性格」が大きいと思うからだ。環境が変わればそりゃ行動も制限されるけれど、しかしそれとはべつに、30年とか40年とか、そんなに短くない時間を生きてきた性格っていうのは文字通りずぶとく、そのままべったり根強く続行しているんですよね。

性愛を指向する人は結局行動するよね

 だから、「恋愛が好き」、「誰かからつねに欲望されていたい」、「いわゆる女であることを、楽しみたい」みたいなことを思い求めることのできる性格の人であるならば、結婚しようが、子どもを産んで母親になろうが、孫ができて祖母になろうが、結果的にはやっぱり、自分のしたいことをするように、できているのだと思う。

 独身で、子どもがいなくても、いわゆる「女」じゃない人もいくらでもいるし、何人かいる子どもの父親がみんなちがう、という母親だってわりにふつういる。心身や環境の変化は、生活や行動に大きな影響を及ぼすけれど、それはあくまで一時的なもの。最終的には、その人が本来指向するものを実現するようにできているのではないだろうか。

 つまり、家庭ではすでに母親&父親でしかなく、「わたし、このままもう、なんというか、終わっていくしかないのか」「そんなの耐えられない」的な不安を感じている人は、その不安が真にのっぴきならなくなったとき、やはり何らかの行動にでるはずなのだ。

 いっぽうで、行動に出ないということは、それはやはり、行動に出ないでもいいレベルの、のっぴきならなさでしかない、というか。

 たとえば、子どもを出産したその日から12年セックスレスだという知人がいるけれど、まあいちおうの疑問は覚えつつも、日々機嫌よく結婚生活を営んでいる。その人にとって生活から性愛が欠如していることは、いろいろ考えてもまあ折り合いをつけていこうと思えるていどなんだと思う。

 そうかと思えば、夫婦間できちんとセックスが成立しているのに「それだけじゃどうもな……」みたいな感じで、べつに相手がいる知人もいる(男性にも女性にも)。「その情熱、すごすぎる……」と首をひねりつつ思わず感心してしまうのだけれど、でもその人たちは、やっぱりそういう性格なのである。