記事の日本語版は「クーリエ・ジャポン」に掲載されました。

 タイトルの邦訳が「女性は仕事と家庭を両立できない」となっているため誤解されやすいのですが、筆者のスローターさんは、仕事そのものを辞めてしまったわけではありません。プリンストン大学の教授としてフルタイムで教えながら、年間30~40回もの講演をこなし、専門家としてメディアに寄稿するなど、依然として活躍し続けています。夫も同じ大学の教授で、息子の世話を自分以上によくしていた、と本には記しています。だから、スローターさんが直面した課題は、夫が家事育児に参加できないから仕事を辞めた、というものではありません。

 日本で例えると“京都大学の教授カップル”みたいな感じでしょうか。結婚して子どもを2人育てていたところ、妻が外務省の部長職に就き、平日、東京での単身赴任を余儀なくされている状況を想像してみてください。週末に京都に帰って家族で過ごすようにしていたものの、思春期の子どもが問題行動を起こしたのを機に、元の教授職に戻った……。そういう事例です。子どもの教育や夫の職を考えると、家族で東京に引っ越すのは難しい、という状況は想像しやすいと思います。

恵まれた状況にある人でさえ、仕事と子育ての両立は難しい

 やりがいのある仕事に就き、頼れる夫もいる。ずいぶん、恵まれているじゃないか――、と思われるかもしれません。そういう感想も寄せられた、と実際スローターさんは本に記しています。ここでの問題は「恵まれている人だから自己責任で」ではなく、そんなに恵まれた状況にある人でさえ「仕事と子育てを、自分が望むレベルで同時に行うのが難しい」という事実です。

 本書には、スローターさんが家庭を優先したことを女性から批判されたり、病気の子どもを看病するため家庭に入った母親からお礼を言われたりした経験、仕事と育児の板挟みに悩む男性の声も紹介されています。日本にもある話だ、と思いました。

 注目したいのは、アメリカの名門大学で教鞭を執る女性と、日本の国会で議員として働く男性が同じ問題に直面している、という事実です。どちらも、狭き門を通過して仕事を得ています。そういう人が、ある一時期「家族を優先させたい」と意思表明したことで、批判されているのです。批判の根底には、「仕事は常に家族生活より優先されるべき」という価値観があります。