こういう議論をするときは、国内だけではなく海外での議論まで見ると視野が広がります。例えば、アメリカ合衆国。大統領候補や大企業のCEOに女性がいるような国ですが、実は育児支援制度は先進国では最低水準で、連邦レベルでは有給の育児休業を保障した制度はありません。一部の先進的な州や雇用主が独自の制度を作っているのが現状です。

 つまり、アメリカの働く女性には有給の産休がありません。これをもってアメリカ女性は産前産後に休めなくてもいい、とは言えないでしょう。こういう状況では「制度がないのはおかしい」と考えるのが普通で、ジェンダーやワークライフバランスの研究者、政策に関わる人達は、長年、アメリカは先進国で最も支援制度がない国と言って政府に働きかけてきました。

 同じことが、日本の男性国会議員についても言えます。これまで男性育休の制度がなかったのは、子育て世代の議員が少なく、議員になっても育児を妻任せにしていたから。そういう状態こそ「おかしい」のです。

問題の根本は、ケア責任を負う人に対する差別にある

“Unfinished Business(未完の仕事): Women Men Work Family”
“Unfinished Business(未完の仕事): Women Men Work Family”

 この問題の根本は、先に述べたように、ケア責任を負う人に対する差別であり、差別を生み出すのは「ケア」を軽視する社会の価値観です。そして、これは日本だけの問題ではありません。

 同じ問題を指摘する洋書が、昨年9月に出版されて話題になっています。“Unfinished Business(未完の仕事): Women Men Work Family”は、育児・介護・看護など「ケア」の再評価に焦点を当てています。米紙ワシントン・ポストやナショナル・パブリック・ラジオが選ぶベスト本や、英フィナンシャル・タイムズ紙とマッキンゼーが選ぶベスト・ビジネス書に選ばれました。

 著者のアン・マリー・スローターさんはプリンストン大学の教授で公共政策が専門です。夫も同じプリンストン大学の教授で息子さんが二人います。数年前、大学を休職し、国務省で政策企画本部長を務めていました。女性でこの職に就いたのは、彼女が初めてでした。平日はワシントンDCに単身赴任し、週末のみ家族のもとに帰る生活が続く中、息子さんの素行に問題が生じ、迷った末、国務省の仕事を辞めて大学教授に戻った、という背景があります。

 その経験を踏まえ、2012年夏、アトランティック誌に、“Why women still can’t have it all(なぜ女性は、まだすべてを手に入れることができないのか)”と題した記事を寄稿したところ、大きな反響を呼びました。ウェブ版では1週間で100万、最終的には270万のアクセスがあった、と推定されています。