荒れた思春期と高校受験を経て強くなった親子の絆

―― その後の思春期についても、色々とお聞きしたいことがあります。働く母としては不安もありますし、実は最も難しい時期ではないでしょうか?

采都子さん 実は、私は息子の反抗期に全く気付いていなくて。私自身は「なかった」と思ってましたが、どうやらあったらしいと最近知りました。本人がよく周囲に言っているので(笑)。中2のころだったらしく、話すことも少なくなったような気もするけど、私自身は、「ま、中学生なんてこんなもんかな」くらいにしか思っていませんでした。

 ただ、そのころ、義母から「息子の帰宅時間が最近遅いから心配だ」と相談を受けました。「帰りが遅いって、あんたいったい何してるの?」と(この子に)問いただすと「ママだって帰ってくるの遅いじゃん」と言い返されて。確かに、私のほうが帰宅時間は遅かったのですが、「私が遅いのは家族の生活のためでもあるし、やり甲斐のある仕事をプライド持ってしているのだからであって、あんたのように勝手気ままに遊んでるのとはワケが違う。私が遅いから自分も大丈夫だなんて100年早い! 同じだと思うな」と、その件ではかなり厳しく叱り飛ばしました。

 働く母親ってどうしても、子どもに何かあると「自分が働いているから……」とか「寂しい思いをさせてるから……」と自分を責めてしまいがちかな、と感じるんです。私もよく「子どもがかわいそう」とよく言われていたような気がします。

 でも、実は私には「仕事をしていて申し訳ない」という思いが微塵もないのです。プライドを持って仕事をしていますし、結果もきっちり出しているので、私の帰宅が遅いことを理由に息子が自分の夜遊びを正当化するのは全くもって許せませんでした。なので、とにかく強く叱ったことを覚えています。

 しばらくして、リクルート卒業を控えていた私は、「最後に価値のある仕事を成し遂げたい」とかなり根をつめて仕事をしていました。残業続きで猛暑の夏バテも重なって、朝、荷物を持って出勤するのもしんどい……。ちょうど、息子が夏休みに入ったばかりの時期だったので、「自転車で会社まで送っていこうか?」と声をかけてくれることが何回かありました。あの“自転車二人乗り出社”の日々は、本当に楽しい思い出です。

 御徒町から東京駅までなのですが、途中の神田辺りで突然タイヤがパンクしたり、おまわりさんに注意されて「えっ? あなた、この子のお母さん? 何やってるんですか!」と怒られたり。息子がオフィスにあるタリーズで朝食を食べて受験勉強をして、一緒に社食でランチしたり。会社の仲間にも「えっ? あのタッキーなの? 大きくなったね」と声をかけてもらったり。

―― 確かに、反抗期とは思えない、とてもよい関係ですよね。そして、中学3年生の終わりごろ、高校受験がやってきます。

采都子さん リクルートを卒業してすぐの12月。三者面談で初めて公立高校の受験制度を知り、愕然としました。学年のランキングはそんなに悪くなかったのであまり気にしていなかったんです。でも「内申点+当日点=合格点」という“内申点重視”の現実に唖然としていると、「お母さん、そこからですか?」と先生に呆れられました。内申点が全く足りておらず、合格するには一般受験でかなりの高得点をたたき出さなければ合格は難しいという状況で……。

 ただ、息子は「なんとしてもこの学校に入りたい。勉強のコツが分かったから受験させてほしい。当日点で必ず稼ぐ」の一点張り。担任の先生や学年主任の先生は「ほぼ無理!」「ランクを落とせ」「推薦で行ける学校にしろ」と、こちらも一歩も引かない。

 家に帰って息子と話し合っても「絶対にこの学校に行きたいから頑張らせてほしい」と珍しくめげないので、最後は大反対の先生の意見をはねのけ、「本人がここまで頑張りたいって言っているんだから挑戦させます」と押し切り、渋々、願書を書いてもらいました。でも、内心は大丈夫だろうか…とヒヤヒヤしていました。

拓巳くん それまでは成績表くらいしか渡していなくて。高校受験がそこまで大切なものだと思っていなかったし、自分が受験時期になってから「この学校に入りたい」と熱くなるとも思っていなかった。受験直前になると、母の手作りのお弁当を持って塾に行き、帰宅後も母のプレッシャーのもとで必死に勉強するという毎日。最初は偏差値が20位足りなかった学校に、なんとか合格できました。あのときは本当に本当に、嬉しくてやりぬいた達成感でいっぱいでした。