職能以外の「得」について

 つぎに「そうはいっても、これを書いた人は見栄えで得をしてきたんだから、そういうこと言われても当然でしょ」というようなもの。

 見栄え云々、こうしたことは、今回に限らず過去にさんざん言われてきたことだ。若い女性だから賞がもらえただけ、評価されただけ、周りに気に入られているだけ、うまくやってるよねエトセトラ……。読者からも、男女を問わず同業者からも言われたし、べつの作家について誰かがそういうことを言っているのも見聞きした。

 そのたびに、「うう、悔しい……しっかり仕事をして、才能でやってきたんだって、いつかちゃんと認めてもらおう……」なんてことは、しかし一度も思ったことはない。そんな気持ちはさらさらない。人がそういうことを言いたくなるときに、自身の何を認めたくなくて何を不安に思っているのか、そして何に安心したいのかがありありとわかるからだし、それはあくまでもその人の心情の問題であって、わたしにはいっさい関係のないことだからだ。

 それに、わたしにだって彼らが言うことが間違っていると証明することなんてできない。あらゆる要素がからみあって、すべてが一回性のうえで成り立っているのだから。そこから何かを取りだして、こうだったかもしれない、ああだったかもしれないなんて検証することなんて、そんなことは誰にもできない。「わたしがあのとき女じゃなかったら」とか、そういう「たられば」は成立しないし、不毛である。

 でも問題はこのさきで、もし仮にわたしが(誰かが)見栄えやそのほか云々で、いわゆる職能以上の「得」をしていたとしよう。だとしたら、オフィシャルの場で、職能以外のあれこれについて指摘されても、それは当然だと考えなければならないのだろうか?

 これも何かに似ているなと思ったら、やっぱり痴漢の話だ。

 「痴漢するほうがもちろん悪いけど、しかし露出度の高い服を着ていたほうも悪い」的な、これまたよくある反応を思いだす(男女問わず、ですよ)。いつも思うけど、これってものすごいですよね。当然だけど、悪いのは痴漢だ。痴漢犯罪においては、痴漢をした人間だけが悪いのだ。セクハラや痴漢だけじゃなくて、強姦被害にだって同じような反応を示す人たちもいる。もちろん犯罪の話と、デリカシー云々の話には大きな違いがあるけれど、つまるところ、こうした反応は同根だと思う。