どこへ行くにも親が一緒。気軽にお小遣いが使えない

 アメリカでは、まず小学生の子ども達が、一人または友達だけでお店に行くということがありません。子どもは常に「保護者」と一緒にいなければならず、子どもだけで過ごしていると「ネグレクト(=虐待)」と見なされて、警察に通報されてもおかしくありません。

さらに車社会のアメリカでは、都市部ならともかく、郊外の住宅街になると近くのスーパーに行くのにも車で行くのが当たり前。車の運転ができない子どもには、おやつを買いに行くにも、あまりにも遠過ぎる距離です。

 子どもにとって「お小遣いをもらう」ということは、そのお小遣いを使って、親の監視なしにコンビニに行ったり、本屋さんに行ったりと、いわゆる「自由な時間をもらう」のと同じことです。しかし、アメリカの子どもにはその「自由」がない。気軽にお小遣いを使えるシチュエーションもほとんどないんですね。

 それでも中学生ぐらいになると、アメリカでも次第に自由が許されて、友達だけでショッピングモールに遊びに行く、といったことができるようになります。もちろん「いつ、どこで、誰と」遊びに行くのか、それを親が把握できている場合のみです。そして当たり前ですが、送り迎えはもちろん親の車。ここまで条件がそろって、やっとその日に使うためのお小遣いを与えるのです。

 こうやってみると、アメリカの小中学生の生活は親にがっつりと管理されています。

 でも、管理する親だって大変なのです。特に共働きの夫婦にとって、これはかなりの重圧。何しろ子どもがどこかに行くにも、基本的に親同伴のうえ、送り迎えだってしなきゃいけない。自分達でできないのなら、他の家族やベビーシッターに頼らなければなりません。もちろん、アメリカには色々と素晴らしい子育てサポートが整っていますが、最終的に責任を取るのはもちろん親!なのです。