全盲で司法試験に合格した日本で3人目の弁護士、大胡田誠さん。半生を綴った著書『全盲の僕が弁護士になった理由』(日経BP社)は松坂桃李主演でドラマ化され、オンデマンド放送でも人気を博しています。離婚、相続、交通事故、借金問題などのトラブルを解決する「町医者のような弁護士」(大胡田さん談)として活躍しながら、プライベートでは全盲の声楽家である妻の亜矢子さんと共に、2人の子ども達の育児に奮闘中。半同居する義母をはじめ、様々なサポートを受けながら仕事と育児を両立しています。子ども達のはしゃぐ声と笑い声の絶えない大胡田家にお邪魔し、「目が見えないからこそ、見えてきた」大胡田家の子育てについて伺いました。「夫婦ともに全盲の共働き家族『子育ては楽しい!』」に続く2回目です。

第二子を出産後、産後うつに

大胡田誠さん
大胡田誠さん

日経DUAL編集部 亜矢子さんは産後にうつになられたと伺いました。

大胡田誠さん(以下、誠さん) 響が生まれる前、亜矢子が妊娠中毒症になり、送り迎えができなくなってしまったので、亜矢子の母を呼んでサポートしてもらっていたのですが、区に相談したところ、特例で1週間だけ、障がい者の身の回りのサポートをするホームヘルパーさんを雇って、送り迎えをお願いできることになりました。負担は一定割合で済むので、それほど高額ではありませんでした。その後、亜矢子が静岡の実家に帰って響を出産したのですが、今度は産後うつになってしまったんです。

―― いつごろからだったのでしょう?

亜矢子さん 出産1カ月後くらいからです。どうしても母乳で育てたくて、頑張り過ぎてしまったのがきっかけでした。

誠さん こころのときも、母乳で育てたんだっけ?

亜矢子さん あのときは1時間くらいかけて母乳マッサージの先生のところに通って。でも1カ月くらいで諦めてしまった。そのときから「次の子のときは」という思いが強くて。響のときも、やっぱり生後1カ月くらいのときに響がおっぱいを飲まなくなってしまったんです。周囲は「もう諦めれば」と言ってくれたのですが、当の私が諦め切れない。それに、いつも響を抱いているので、こころとのコミュニケートもできない。次第に、こころが私に近寄らなくなってしまいました。あるとき、はっと「このまま東京に帰ったら、こころとどうやって付き合えばいいんだろう?」と気が付いて、愕然としたんです。

 おっぱいもうまくいかない。長女との関係もうまくいかない。でも、もうちょっと母乳も頑張りたい。ふと気が付くと、眠れず、食べられない状態になって、周りからも「おばけみたいな無表情をしてるよ」と言われ始めました。

亜矢子さんのお母さん こころが寄りつかなかったんですよ。響を抱いて、ずっと下を向いていたからね。本当に暗~い顔でね。

「そうか、私はおかしいんだ。だったら、何とかしなきゃ」

亜矢子さん
亜矢子さん

亜矢子さん みんな私を「おかしい」と言う。自分では「おかしくない」と思っていたけれど、「そうか、私はおかしいんだ。だったら、何とかしなきゃ」って。

―― 切り替えられるところが、強いですよね。その後どうされたのですか?

亜矢子さん 母乳にこだわり続けたいのか、こころとの関係を立て直したいのか? そして「まずは自分が元気にならなきゃダメだ」と思って、「私、おかしいから病院に行きます」と家族に宣言しました。そのときも兄夫婦は、私をしっかりサポートしてくれました。ひどくなると、お医者さんに何か伝えたくても言葉が出てこなくなってしまうこともあったので、義理の姉に付き添ってもらい、地元のメンタルクリニックに行きました。

 薬が必要になることが分かって「母乳ですか?」と聞かれました。通常の薬は効きも早いけれど、母乳は諦めなければならなくなる。漢方なら効き目はゆっくりだけど母乳は続けられる、と言われて「うっ」と詰まりながらも、「普通の薬にしてください」と言いました。

―― 母乳へのこだわりを、そこで立ち切ったんですね。

亜矢子さん 薬をもらって治療に専念しよう、と。実は歌のリサイタルの予定もいくつかあったのですが、キャンセルすることにしました。キャンセルの連絡は夫に頼みました。

誠さん 「本人の体調が悪いので、申し訳ありません」と僕が電話したんです。「誠さん、亜矢子さんの代わりに講演会をやってください」といった依頼は、残念ながらありませんでしたが(苦笑)。

亜矢子さん 保育園も休ませ過ぎてしまい、本来ならば退園させなければならないところでした。でも事情を説明し、理解してもらいました。区の窓口の方は、保育園に入るときにお世話になった方でした。初対面のときは素っ気なかったのに、このときはもうお付き合いも長くなっていて、わが家の事情も理解してくれていました。とても親身に対応していただき、本当にありがたかったです。