「ゆっくりでいいよ」「やってもいい?」の一言に救われる

誠さんの奥さん、亜矢子さん(右)
誠さんの奥さん、亜矢子さん(右)

亜矢子さん 兄夫婦が素晴らしいのは私を全く急かさないことでした。いつでも「いいよ、いいよ、ゆっくりでいいよ」と言ってくれて。離乳食もそうやって教えてくれました。

 目が見えない環境での作業は、どうしてもスピードが遅くなります。健常者から見たら、自分がやったほうが早いし、手を出したくなると思うんです。でもそういうときも「やって(手を貸して)もいい?」と聞いてくれる。その一言がうれしいんです。

―― 手伝う前に、一声掛けてくれるのですね。

亜矢子さん 自分の子どものお世話ですから、もちろん自分でやりたいですし、やろうと努力もしている。それでも、「できない」という葛藤が常にあります。

 出産のときは静岡に里帰りして地元の病院で出産して、病室では母に付き添ってもらっていました。すると、助産師さんも看護師さんも、赤ちゃんのお世話について、母に教えようとするんです。「これは私の子で、私が世話をするのだから、私に教えてほしい」という気持ちがいつもありました。そうやってお願いもしてみたのですが、皆さん忙しいので、健常者である母に教えるほうが……、それは早いですよね。

 私以外のママ達は、赤ちゃんのお世話をどんどん自分でできるようになっていく。でも、私はやっぱりうまくできない。それで、母に八つ当たりしてしまったりして、ケンカもしましたよ。

「何でやってしまうの? もういいよ、じゃあ全部やってよ」

―― どんなことでケンカになったのでしょう?

亜矢子さん 私はいずれ実家を離れて、東京に戻らなければならないから、1日でも早く覚えたいわけです。もしやり方が間違っているなら、健常者であり、経験もある母やきょうだいのいる環境にいるうちに直したいと思っていました。

 でも、母だって私のペースに合わせられないこともある。やっぱり大変な作業は、母が代わりにやってしまう。「何でやってしまうの? もういいよ、じゃあ全部やってよ」みたいなことを口に出してしまったこともありました。

誠さん 産後うつもあったよね。こころのときは、そうでもなかったんだっけ?

亜矢子さん うつになったのは、長男の響の出産後です。そのときのことはまた後で話しますが、長女のこころのときも、今思うとギリギリのところにいました。

 私の中には“理想のお産”というものがあった。お産は東京でして、基本は夫婦で子育てをしていく。母やきょうだいには必要なところだけサポートしてもらいたい、と思っていたんです。でも、実家に反対され、私自身も未知のことなので「ここで頼るのは仕方ないかな」と実家での出産を選んだものの、1カ月くらいで東京に戻れると思っていました。

 静岡に戻ったときに2011年3月の東日本大震災が起き、計画停電の中で長女を出産。震災後の状況から「首が座るくらいまでは、ゆっくりしたほうがいいんじゃない?」と言われました。

 静岡では車がなければどこにも行けません。親きょうだいに助けてもらえる半面、一人ではどこにも行けない、いわば“刑務所”みたいな暮らしですから(笑)、気持ちも追い詰められていく。東京に戻って夫と話し合い、「東京で何とかやっていこう」ということになりました。こころが生後4カ月、2011年夏のことです。