子育てに仕事にせわしなく追われながら日々繰り返される「日常」。ある小児科医がこれまでに出合った光景は、その何気ない「日常」がどれほど幸せなものなのか、立ち止まってかみ締め、向き合う機会を与えてくれます。書籍『君がここにいるということ』(草思社)に収録された5つの物語を、5回にわたってお届けしていきます。
 4回目は、顔面の奇形、指の欠損、先天性の重い心臓病という運命を背負い生まれてきた女の子の物語です。生後4カ月でその短い生涯を終えた彼女は、生きている間に一度も親に抱かれることはありませんでした

 小児科医になって6年目の年。大学病院に臨床研究医として働いていたときのことである。出生直後、直ちに大学病院に搬送されてきた女の子がいた。

 上唇の中央部から鼻にかけて左右に大きく割れている。口唇裂という顔面の奇形である。さらに左手首から先の欠損。右手は指が2本のみ。そして、先天性の重い心臓病。表面上の奇形はともかく、心臓病は、直ちに手術しないと命に関わるものだった。手術をしなければ、その子の命は、数ヵ月で終わってしまうのは、明らかであった

 当然、手術を目的に大学病院に搬送されてきたのだが、付き添ってきた父親は手術を拒否した。この子が生き延びても不幸になるだけだから、このまま死なせてくれ、と言い残して、さっさと帰ってしまった。

 だからといって、本来なら助かるはずの赤ちゃんをこのまま何もせずに死なせるわけにはいかない。なんとか手術を受け入れてもらえるよう説得するため、病院側は両親に来てもらおうと何度も連絡を取ったが、父親は「絶対に手術はしてもらいたくない。亡くなってから連絡してくれ」と言うだけだった。

「あんたに障害者の気持ちがわかるのか? きれいごとを言うな」

 それならば祖父母から説得してもらおうと、祖父母に連絡を取ったら、両親の祖父母4人がそろってやってきた。彼女には付き添う家族がいないため、ナースステーションの中に保育器が持ち込まれ、その中に寝かされている。その保育器を前にして、祖父母らと主治医、医局長が話し合いを始めた。私をはじめ、ナースステーションの中で働く多くの医師・看護師らが、少し離れた場所でそれぞれの仕事をするふりをしながら、聞き耳を立てて話し合いのゆくえを見守っていた。

 主治医の病状説明の後に、主治医は一刻も早く手術しなければならないと祖父母らに訴えた。ところが、祖父母たちはそろって、 「あんな子の命が助かったところで、あの夫婦には絶対に育てられない。だから、今死なせてやることが、あの子の幸せだ」と言う。

 「死ぬことが幸せなんてことは、この世に絶対ないです。同じような障害を持っている人はたくさんいますし、まったく普通に生活しています。たとえ家族であっても、お子さんの命を奪う権利はありません」と主治医は言った。

 1人の祖父が詰め寄るような口調で、言った。

 「あんたに障害者の気持ちがわかるのか? 障害児を育てる親の気持ちがわかるのか?」「本当の意味で、障害を持つ人々や親の気持ちはわからないかもしれません。しかし、寄り添うことはできます」「きれいごとを言うな。私の身内に、障害者がいる。大変な苦労をしている。私はもう身内に障害者を増やしたくない。障害で苦しむ家族をこれ以上見たくないんだ」

 そう言われた主治医は、黙り込んでしまった。

 その日は結局、祖父母たちの激しい剣幕に、手術の説得をするどころではなかった。

 その後も、病院側は説得しようと何度も試みたが、両親は頑として手術に同意しなかった。そして、事務的な用事で病院に来る以外には、面会にはいっさい来なかった。