成功率五分五分の骨髄移植へ
前回よりお姉さんになった由香子ちゃんは、自分よりも小さな子のお世話を自ら進んでしてくれた。
痛い検査の後で泣いている5歳の男の子を慰めるのは、彼女のいつもの役目だった。病院の誰もが彼女のことを好きだった。
その年の七夕の日、小児科病棟のプレイルームでは、入院している子どもたちが思い思いの願い事を短冊に書いて、笹の葉に飾った。みんなは「早く退院できますように」とか「早く病気が治りますように」という願いを書いていた。しかし、由香子ちゃんの願いは「パパとママとチコちゃん(飼っている犬の名前)が病気になりませんように」というものだった。
再度の抗がん剤治療も、治療開始当初は効果があったように思えたが、時間が経つと再び白血病細胞が増殖を繰り返してきて、彼女を治癒させることはできなかった。抗がん剤治療と並行して、骨髄移植の可能性を探っていたが、そのためには、骨髄のタイプが一致したものを移植することが必要条件である。由香子ちゃんの骨髄のタイプと一致する骨髄はなかなか見つからなかった。
みたび由香子ちゃんの病状が悪化してきて、治療の必要に迫られていた。その当時、ようやく比較的タイプが似た骨髄が見つかっていたため、医師と家族が話し合った結果、成功する確率は五分五分だが骨髄移植に懸けてみよう、という結論になった。
その年の10月、由香子ちゃんは骨髄移植のために入院してきた。由香子ちゃんは9歳、小学校3年生になっていた。骨髄移植をする前には、今ある骨髄を空っぽにする必要がある。そうなると、免疫力が低下するので、感染症にかかりやすくなる。そのため、骨髄移植の準備が始まったら、人の出入りが制限される無菌室で長期間過ごさなければならなくなる。無菌室はガラス張りの部屋で、外とはインターホン越しの会話になる。
あるとき無菌室の中の由香子ちゃんは、ガラスの向こう側のお母さんにこう言った。
「ママ、私がいなくなっても、ひな祭りの日には、おひな様を飾ってね」
今は10月。ずいぶん先の話である。
「由香子、おかしなこと言わないで! 来年のひな祭りは、おうちで一緒にひな祭りしましょ!」「そうだね。でも、ママ。約束だよ」
お母さんは泣いてはいけない、と思いながらも、涙を止めることができなかった。
ひな人形の箱から出てきた手紙
その後由香子ちゃんは、一度も退院することなく、3ヵ月後に亡くなった。感染症により血液の中に細菌が入って、全身の臓器が働かなくなる、多臓器不全という状態になったのである。骨髄移植の経過中は、感染症予防のために抗生剤が投与されているのだが、由香子ちゃんの場合、抗生剤の効きが悪く、治療に追われているうちに急激に多臓器不全が進行するという、不運な経過をたどった。
いったんはもちなおしたかに思えたが、最後は力尽きて、家族と多くの病院スタッフらに見守られ、由香子ちゃんは天国へ旅立った。9年間の短い命だった。
由香子ちゃんが亡くなって数ヵ月経ってから、由香子ちゃんの主治医のもとに、由香子ちゃんのお母さんから手紙が届いた。手紙には、次のようなことが書かれてあったという。
由香子ちゃんが亡くなってから、お母さんはしばらくは何も手につかない状態だった。由香子ちゃんの物を目にするたびに涙が溢れてくる毎日。お母さんは、そのあまりにも大きすぎる喪失感に阻まれて、一歩も前へ進めない日々が続いていた。
その年の3月、お母さんは由香子ちゃんとの約束をふと思い出した。ひな人形を飾ってほしいとの由香子ちゃんの願い。正直、亡くなった我が子のためにひな人形を飾るのは気が重い。しかし、由香子ちゃんとの約束である。お母さんはひな人形を飾るため、人形の入った箱を開けた。
お内裏様の人形の胸に、「パパ」という文字を刺繡した布が巻かれてあった。同じく、おひな様には「ママ」と刺繡した布。そして、三人官女のうちのひとりに、「由香子」と刺繡した布が巻きつけてあった。
そして、箱の中には手紙が入っていた。こんな文だった。
(イメージ写真/鈴木愛子)